小高い丘に佇む秘密の花園
今日はラウラという一人の少女の話をさせて頂きたい。正義感に燃えすぎている少女である。
正義感があることは立派なことである。何の支障があるというのか?
問題は、ラウラの正義感が、彼女自身を、あるいはまわりの人間を、トラブルに巻き込んでしまうことにある。
例えば、ホームレスの人を足蹴にした人達を目撃したりすると、ラウラはその人達を追いかけて、ホームレスの人に謝罪させるまで食い下がる。十代初期の身体の小さい子供が図体の大きい大人に、彼女なりの道徳理念を説こうとしていたのだ。
今の時勢、正義を貫いた故に危険に遭う人は後を絶たない。危険に遭う可能性があるから止めてくれないか、と親が懇願すると、
「悪いのはあの人達でしょう。弱い人達を助けるように、といつも説くのに、実際に助けようとすると止めなさいというの?そういう行為はダブル・スタンダード(モラル)と言われるものよ」、ラウラは反論する。
それは、ラウラの信念を貫こうとする行為であり、正論でもあるため親もそれ以上何も言えない。今後そのような状況に遭遇したら事前に連絡して欲しい、一緒に行くから、と促すことが、親には精一杯出来ることであった。
彼女にとっては、彼女の定義するところの「正義」が全てであったため、学校においても、立場の弱い生徒、いじめを受けていた生徒のために常に闘っていた。
その冬の寒さは例年に増して厳しかった。
ある晩、ラウラは、幼馴染のエルビラからパーティーの誘いを受けた。エルビラのクラスメートのディアナの退院パーティーであった。
この夜が非常に長い夜になるであろうことは、この時点では誰にも予測できなかった。
ディアナとは、青少年心理治療施設にて四か月間入院していた少女であった。心理治療施設を訪れる青少年の理由は異なり、入院期間も状況に依って異なる。ディアナの場合は、その中でも重度のカテゴリーに属するものであった。
事件は、ディアナの母親が犬の散歩に出掛けていた一時間弱の間に起きた。
そのパーティーには、ラウラ、ディアナのクラスメートを含めた女子8名ほどが集まっていた。その中の一人が、ウヲッカあるいはジンを闇で購入したという。未成年にはアルコールを国営酒店にて購入することは許可されていない。
ディアナの母親が犬の散歩からマンションに戻り、ディアナの部屋を開けた途端、その光景を即座には咀嚼できず、半狂乱になったという。
ディアナの部屋の床には吐瀉物が散乱していたが、ディアナとエルビラはそれでもなお、嘔吐を続けていた。非合法酒を一滴も飲まなかったラウラは即座に救急病院に連絡をして、二人の背中をさすっていた。他の女生徒たちは巻き込まれたくなかったためか、早々に退散してしまったらしい。
ディアナの母は激昂のあまり、弁明を聞く耳も持たず、ラウラに飛び掛かり、彼女の顔面を何度も殴り始めた。
非合法酒を購入したのはラウラであると思い込んでしまったようである。救急車の到着が少しでも遅れていれば、ラウラまでICUに運ばれていた可能性もあった。
スウェーデンにおいては、大人が子供に暴力を振るえば罰せられる。しかし、ラウラはディアナの母を訴えることはしなかった。可哀想な人だから、という理由であった。
私がラウラの母親から聞いた事情の断片を繋ぎ合わせてみると、このようになる。
ディアナの家庭は母子家庭である。母親は写真家であった。どのような写真を撮るかはわかりかねるが、おそらくディアナの入院中は、撮影活動も儘ならず、経済的にも逼迫しており、精神的にもかなり追い詰められていたのではないか、というのが私の想像である。ストックホルムの青少年心理治療施設は、親も出来るだけ施設内にて生活をすることを促されるという。
この事件のあと、ディアナとエルビラは各居住地管轄の施設へ迎えられた。
ラウラは、心理治療施設にて数週間を過ごすことになったエルビラを毎週訪ねていた。
ラウラの母親は、木乃伊(ミイラ)取りが木乃伊になるのではないかと危惧していたが、ラウラを止めることが出来ないことは充分過ぎるほど理解していた。最初の訪問時だけはラウラに付き添って行った。
数分間の面会を終え、施設を出た直後、ラウラの母親は、禁煙中に拘わらず煙草を取り出し、蒼白になっていたラウラは近くのベンチに倒れ込んだという。
ラウラの母親が描写した光景は、あまりにも凄まじく悲しいものであったため、こちらではほとんどは割愛させて頂くことにする。しかし、かつては絹のように滑らかであったエルビラの腕には何本もの切傷が付けられていたという。いわゆる自傷行為というものであろう。
「秘密の花園」、小高い丘に佇むこの施設をラウラの母親はこのように形容した。「秘密」は閉鎖された空間を抽象し、「花園」は抗鬱剤等の助けによる暫しの安寧を比喩したものであるという。
ラウラの母親からこの一連の話を打ち明けられたのは、私がまだアルコールをそこそこ飲めたころであった。その日、昼間から降り始めた雪は吹雪になっていたので、その晩は泊まらせて頂くことにして、ワインを肴に夜通し語り明かした。
私がそれまで悩んでいたようなことは、地球規模から鑑みたら悩むにも値しないことであったことをも認識させられた強烈な晩であった。
パンデミックが猛威を振るう前年の夏に、久しぶりにラウラの母親と会った。あの事件からは早くも遅くも五年の月日が経っていた。ラウラは、おそらくあの事件が引き金となり、心理学を勉強し始めたということである。
その後、ラウラの幼馴染のエルビラはどうしたのか。
「エルビラは、あの後も入退院をしばらく繰り返していたけれど、今はオーストラリアでワーキングホリデーに参加しているらしいの。太陽を浴びて、アルバイトでも責任のある仕事を任せられて、充実した人生を送っているらしいわ。彼女を施設に毎週訪ねて来たラウラの友情は一生の宝物にする、と伝えて来たそうよ」
「ラウラの友情がエルビラに再び笑顔を取り戻させた、とも言えるわね」
ラウラの母親の表情に多少陰が差した。
「そうだとしたら本当に素晴らしいことなんだけど。エルビラは、スウェーデンに戻ったらラウラと一緒にディアナを訪問しようと提案しているみたいなの」
事件の起きた晩、心理療養施設に迎えられたのはエルビラとディアナであったが、重度の診断を受けているディアナのほうは、残念ながら数年経ったその時点でも退院の見通しはついていなかった。
「あの冬の事件のようなことが再度起こるのではないかと心配しているの?」
「あの冬はもう二度と繰り返したくないから」
「じゃあ、ラウラにディアナを見舞うことを止めさせるの?」
「止めても無駄だってことはラウラの性格からしてわかるでしょう」
おそらく無駄であろう。
「正直言ってね、ディアナの母親がラウラを殴ったことを思い起こすと、今でも、ラウラが不憫で悔しくなるのよ。でも、同じ娘を持つ親として、ディアナの母親の心情が理解が出来てしまうから、私にも彼女を訴えることは出来なかった」
私が喫煙をしないことを知る彼女は、噛みタバコ(スヌース)を口の奥に押し込みながら話を続けた。
「もし、ラウラとエルビラの訪問によって、ディアナが束の間でも、自分は一人じゃない、という安堵と信頼を感じることが出来るのであれば、同じ親として、それ以前に、人間として出来ることはしてあげたいと思っているの」
彼女は立ち上がり、二階の窓から外を指さした。外の公園では、ベンチに座った三人の少女たちが、ヘッドセットから流れる音楽に合わせて楽しそうに上体を躍らせていた。少女たちのまわりは花盛りであった。
「本来なら、通常の親は自分の子供を、偽物の花園ではなくて本物の花園の中で見つけたいと思うはずよね。ラウラがそのために微力でも尽力しようとするなら、私も彼女の意志を全面的にサポートしてゆくつもり」
私はラウラの母の隣に立って窓の外の少女たちの明るい表情を見た。数年経ってもあの少女たちの朗らかな笑顔に陰が差すことがないように、と、誰にともなく祈った。
今回は重いテーマでしたが、お付き合い頂き有難うございました。
児童・青少年心理に関して課題を抱える国のひとつ、北国から、お便りをさせて頂きました。
この町では青少年を種々の危機から保護するために、認知行動療法を中心とする心理療法、病院、民生委員会、警察、青少年の駆け込み寺、ボランティアの両親、地域の人々から成る治安コントロール隊などが組成されております。しかし、彼らの献身的な働きにも拘わらず悲劇の数は減少傾向を見せません。
私の近所、知合い、勤務先には、苦しんでいらっしゃる青少年が多く存在します。しかし、時が経つと共に、彼らの(多く)が各々のペースで自立してゆくお話を伺うと、面識のない方のお話でも嬉しくなります。その陰には文中の少女のように民間レベルで尽力をされている方もいらっしゃいます。
写真は「長靴下のピッピ」の著者、アストリッド・リンドグレン女史が生前居住されていた住まいに隣接する市の公園です。私はこの公園の脇で女史とすれ違った(ぶつかった)ことがあります。女史の晩年近くのことでした。彼女の著作により救われた青少年、児童は多いと思います。
ダリアとピンクの花は植物園からのもの、サムネイルは植物園で見掛けた寄り添いあう二人の青少年です。