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朝のつぶやき 230401 重要

おはようございます。今日も朝のつぶやきやっていきます。今日は文字入力。平日の音声入力よりも少しだけ精度の高い変換になっているでしょう。おそらく。そして少しだけ推敲された文章にもなっているでしょう、おそらく。まぁ文字入力でも言いたいこと書きたいことは変わらず、いま自分の頭の中に浮かんでくる、溢れ出してくる言葉を紡ぐだけ。これは全て自分の記録。昨日の夜は桜を見にいき、散りかけた桜木の群衆を下から眺めた。桜は咲いてから散るまでのスパンがものすごく短い、あっという間に時が流れているんだよとガミガミ言われているかのような気になる。だからと言って嫌いなわけでは無い。むしろ大好き。新しい1年がやってきた、という感覚。さぁ、これからゴリゴリやってくぞ、と奮起を促してくれるような気温と匂いと穏やかさと、そして「でもそんなに悠長に構えてられるほど長くないよ」とピリッとさせてくれる、この物理的な体をもってしての一生はそんなに長くは持たない、ということを暗に示してくれている、そんな気がする。これからやりたいこと、しぬほどたくさんある。やらねばならないと思っていることも大量にある。この体に魂を宿してもらったからには、心置きなくこの体を十分に働かせ、魂の成長の糧に精一杯させていこうじゃないか。そう、全ては魂の成長のため。じゃあなぜ魂の成長が必要なのか?それはわからん、正直。何者かのためなのかもしれないし、この魂の成長こそが宇宙を維持するための条件なのかもしれない。じゃあなぜ宇宙を維持しないといけないのか?宇宙とはなんなのか?謎が謎をよぶ。これに答えはあるのかどうかさえわからない。が、こうやって考えることをやめたくは無い。理由は無い。根拠はないが、ひとつ言うとしたら、魂の成長を止めたくはないから。魂の成長がとまる、つまり体を使わなくなる、つまり目の前が楽しくなくなる、本当に意味がなくなる。それが怖い。この体はいつかボロボロになって滅び、形を維持できなくなる。でもこの体をもって紡いだ電子信号や量子もつれは、自分の外に必ず波及し、誰かの、何かの、どこかの、どんなことにも影響を及ぼしているだろう。そしてそれらの魂の成長に寄与しているだろう。というかそうであってほしい。唯一の願望だ。この世はわからないことだらけ。だからこそ、わかったようなことばかりで自分を囲むことは勿体なくないだろうか?それに分かったようなことですら、実は分かっていないことだらけではないだろうか?そんな不確かなことを信用して命を預けきってしまって、自分での選択権を放棄してしまって、本当に自分は幸せなのだろうか?ワクワクするのだろうか?死ぬ時に本当にこれでよかったのだろうかと疑問をぶつけてしまう自分になりたいのか?違う。うん、だから私は考え続ける、全てのことを。そしてそのまま好奇心に満ち溢れながら死んでいきたい。そう願う。

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