【12日目】 できない自分、上等

広報・社長秘書の仕事から、対人支援の仕事にキャリアチェンジしたのは35歳を迎える直前(2011年1月退職)。ちなみに、最初にカウンセラーの仕事に興味を持ったのは、中学3年生の時。友人にも先生にも家族にも話せない悩みがあり苦しかったので、「人の相談にのる仕事がしたい」と思った。

家庭の事情もあり、大学は地元の大学の外国語学部に進んだが、ずっと心理の勉強がしたいと思っていた。

2010年、在職中に産業カウンセラーの資格を取得した。2011年に退職をしたわけだが、当時は、その資格だけではなかなかカウンセリングの仕事がなかったので、特に資格の必要はない、身体、知的、精神の障がいのある方の就労支援の会社に就職した。2012年3月のことだ。

就労支援会社では、それぞれ障がい特性は違うのに、一緒の教室で同じ講座を受けてもらう。そのことに限界を感じていた。月~金の仕事で、毎日家に帰るとぐったりして身体が思しくなっていた。もう無理だと思っていた。

・上司と合わなかったこと
・不得意な保険の計算の仕事が割り振られたこと
・威圧的なスタッフに対して、言いたいことがあっても言葉をのみ込んでいたこと
・当時は利用者の方との間に境界線が上手に引けていなかったこと

が主な理由だ。

母親からは「大変な仕事をしなくていいんだよ。普通の仕事でいいんだよ」と言われていたが、誰にでもできる仕事なんて嫌だと思っていた。

あるとき、仕事をしていて、氣づいたこと。
「大変な仕事をしてはじめて私には価値がある」という概念。幼い頃から頑張ったら褒められていたので、氣づいたとき、びっくりした。
と当時に、「できない自分でいい」「できなくていい」と自分を赦すことができた。それまで、できない自分はダメ。できないのは心が弱いからだ、自分が悪いと思って自分を責めて、鞭打ってがんばっていた。

今日、プライベートで「本当は仕事を辞めて休みたいけれど、子育ても仕事も両方頑張っている方がいるから、自分も頑張らないといけないのではないか」と思っているというお話を伺った。

経験をしたからこそ言える。

「休みたいという心の声を大事にしてほしい。人がどうであろうと、自分からでてきたこたえを大切にしてあげて」

#退職 #自己価値 #心の声 #メンタル #就労支援 #キャリア  





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