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ライフワークス代表・野田和裕 クリスチャンビジネスマンとして生きる【社長インタビュー】

こんにちは!ライフワークス社 総務・セレモニースタッフの中山です。
本日は、弊社代表野田へのインタビューをお届けします。


「牧師(直接献身)」ではなく
   「ビジネス(間接献身)」で働くことの劣等感


ー社長は神学部のご出身ですが、牧師の道を選ばなかったのはなぜですか?

野田
今から20数年前の東京基督教大学の環境は、牧師(直接献身)として働くことが優位的に見られる傾向が大変強くある時代でした。私が入学した頃は、前身のバリバリ神学校のかたちから一般大学としての歩みを始めたばかりだったので、牧師になるのが当たり前の考えがまだ根付いていたんだと思います。

神学を学ぶ大学ではありましたが学生全てが牧師(直接献身)としての召しがあるわけではなく、一般社会に出て働く(間接献身)あり方も需要であると大学側もこれまでの神学校とは違う学校法人的大学の立場としても考え方が大きく変わりつつある時代の中で私は大学生活を送りました。そのような環境で過ごすわけなので牧師にならないのは、真の神学生ではない的な感覚になっていたんだと思います。

卒業が間近になると共に学ぶ同級生たちが牧師になる道を選んでいく様子を見ながら、「自分は牧師の道を選ばず一般社会で働くことを選ぶ」という事に対して劣等感を感じていました。でもその一方では、どんな働きをするにせよ宣教に繋がる働きをしたいと思っていました。

牧師の道を選ばなかったというより、選ぶことに対する召命感、キリスト教用語になりますが神さまからの具体的明確な召しを感じることができなかったのが一番の理由ですね。


--ご実家がキリスト教関連の事業を営んでいるとお伺いしましたが、そこでの働きはお考えにならなかったんですか?

野田
まだ牧師の道に対する未練がありましたし、実家の家業に帰るのは最後の手段と考えていました。また牧師としての召しがいつか来るかもしれないという神頼み的な思いも残しつつ、キリスト教界の見聞を深めるために大学を卒業後、違った視点から教会との関りを持つためにキリスト教葬儀社に勤めました。

教会とは大学時代(神学生)とは違く形での関係での働きが始まりました。これまでは神学生(いつかは牧師になる可能性がある学生)として、どこの教会に行っても、ちやほやされる存在だったのが、一社会人、しかも葬儀社のスタッフとして教会との働きが始まりました。時に大学時代共に学んだ友人が牧師となり運営する教会の葬儀の仕事もありました。やはり、そこで感じるのは、友人は牧師、自分は一社会人として働いている。どことなく負けたような気持ちを感じることもありました。

葬儀社の働きは、教会との関りを一社会人として見ていくというのが目的だったので3年の働き後、退職しました。その後、再び神学校に行き学ぶという思いもありましたが、やはり牧師としての明確な召命感がなく、その後は、最後の手段であったキリスト教精神を基盤とした教育や福祉関連の実家の事業を手伝うこととしました。ここで自分はビジネスを通し宣教をしていくのだという熱い気持ちで戻ったのであります。いつも自分の中には、どんな働きをするにしても「宣教への想い」は消えることはありませんでした。

--そこまで想いが強かったのなら、牧師になろうとは思わなかったのですか?

野田
先ほどもお話ししましたが、今一度神学校に入り、牧師になる道を選んだ方が良いのだろうかと考えたこともありました。しかし具体的明確な召命感が無かったのが、その道を選ばなかった大きな理由です。

--そうなんですね。その後は、どのような思いで働くことを意識されたのですか?

野田
牧師の道を進むべきか、このまま一社会人として働き続けるべきかと、まだその悩みはずっとありました。あの頃は、クリスチャンとしての生き方働き方、本当に真剣に苦しみ悶えながら考えていましたね。

ある時、クリスチャンの友人にとある韓国クリスチャンのビジネスマンらが開催する勉強会があるから参加しないかと誘われたんです。韓国で何十億何百億とビジネスで結果を出しているビジネスマンの先輩方から多くを学びました。ビジネスの場は宣教の場でしっかり稼ぎしっかり献金し、一般社会で影響力を持つことは最大の宣教の働きなのだと教わったんです。

そしてその講義をしてくれた韓国人の先輩ビジネスマンが教えてくれたんです。ビジネスの場はまさに宣教最前線の場であると。牧師としての働きも重要だが、「ビジネスマン宣教師」としての働きも重要なのだと。牧師として歩むべきか、ビジネスマンとして歩むべきか悩んでいた私のアイデンティティがその時、その言葉で一つになったんです。

「ビジネスマン宣教師」これが私のどう生きてどう働いていくかの答えになったのです。

--その「閃き」から現在のキリスト教専門葬儀社 ライフワークス社が生まれたんですね。

野田
そうなんです。大学卒業後、キリスト教専門葬儀社で働き、その後は、実家のキリスト教精神を基盤とした教育や福祉関連の事業で5年間働きました。「ビジネスマン宣教師」というカテゴリーを知ったのちは、自分でできることを自分らしく責任をもって自分でやって行きたいという思いが湧いてきました。性格的にレールの上を走るよりは、自分でレールを敷いて自力で生きたいタイプなんですね。そんな起業精神をもってこの会社を興しました。葬儀・終活から死を見つめてどう生きていくか?死から真に生きることを考える、そして命を与え守り導いて下さる主なる神を知り受け入れ、さらに真剣に生きていく。そんな働きにつながる仕事をしていきたいと願い「ライフワークス社」を立ち上げました。葬儀・終活の場から「福音を伝え、悲しんでいる人に寄り添う、そんな働きをこれからも続けていきたい」と考えております。

--少し話は変わりますが、今後の展望をお聞かせ願いますか。

野田
まもなく日本社会は2025年を迎えます。つまり団塊の世代の方々が後期高齢者となり日本国民の5人に1人が75歳となり超高齢社会の真っ只中に突入します。つまり多死社会、少子化の時代になります。現在もこの超高齢社会・多死社会の問題は日に日に増えてきております。葬儀のスタイルもこのコロナ禍も追い風となり簡素化、宗教離れ、縮小化が増えてきております。

これまでの教会の宣教スタイルをもっと高齢者に目を向け、葬儀や終活の対応ができるようにしていく必要が急務に感じております。葬儀の在り方も大きく変わりつつある時代の中に在って、教会における葬儀・終活からの地域との関係性対応性をもっと整え対応していく必要があると強く感じております。

葬儀の形が変わりつつある時代、これまでのキリスト教葬儀はクリスチャンだけのものでありました。しかし葬儀スタイルが変わる中で、これからはクリスチャンではない方々にも開かれたキリスト教葬儀の対応が必要になると考えております。このような働きは葬儀社だけが意識を上げても意味がありません。日本おける教会と教会がこの超高齢社会・多死社会に目を向け、手を取り合って新しい行動を起こす必要性があると感じております。

具体的には、ノンクリスチャンの葬儀の受け入れを考える。墓地の問題。独居老人の対応。終活を通しての地域との関り等々。これらを教会と終活に関わる働き人とが手を取り合って行動を起こせるようなネットワークづくりを具体的形にしつつ行動していきたいと考えております。

そのためには共に働く仲間が必要です。
この記事を読んで、少しでもライフワークス社に興味を持った!
代表野田と話してみたい!

と思った方は、是非弊社へお問合せ下さい!

この度は、ありがとうございました。


いかがだったでしょうか。
弊社では9割はクリスチャンのスタッフですが、キリスト教に興味がある、クリスチャンではないスタッフを採用することもあります。

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気軽にZOOMでの面談も可能となっております。

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