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何も頑張っていない。という言葉に思うこと

こんにちは。とーあです。

「最近は、何も頑張っていない。」
友人と話していて、そんな言葉を聞きました。

本当に何も頑張っていないんでしょうか。
いや。
そもそも、頑張っていないことに対して是非はあるんでしょうか。


頑張ってなくてもいいよ。って思う

頑張ってなくてもいい。
正直そう思います。

頑張っていても、頑張っていなくても。
そこに良い悪いはないと思っています。

それに、良い悪いを決めるのは他人ではない。
そんな風にも思います。


頑張っていないことに焦る気持ち

社会に出たばかりの頃って、
「こんなことが出来るようになりたい。」「あんな先輩のようになりたい。」
そんな目標のようなものがあったかと思います。

すぐに出来るようにはならないし、先輩のようにもなれない。
目標に向かって頑張って、悔しい想いをしたり、達成して喜びを感じたり。
そんなことがあったような気がします。

頑張ってきて、歳を重ねれば出来なかったことも出来るようになる。
周りには、昔の自分のように目標を持って必死に頑張っている後輩がいる。
後輩の姿を見て、今の自分はどうか?
そして、あの頃の自分と今の自分はどうか?
他人だったり過去の自分と比べる。
そうすると、自分は頑張っていない。と思うのかもしれませんね。

本当は自分も周りの後輩と同じように頑張ってきた過去があるし、
今だって、何も頑張っていないわけじゃない。
ただ、頑張るということに対する目線が高くなっているんだと思います。
しかも自分に対して。

そんな風に、自分自身を客観的にみることも必要かなと思います。


実際は十分頑張っている

スキルを身につけることや、できないことを出来るようにする。
そのために勉強する。
そういったことって、自分を軸に動いているので、頑張っている様子がわかりやすいんだと思います。

冒頭の「最近は、何も頑張っていない。」と言っていた友人。
よくよく話を聞くと、僕の印象では十分頑張っているんです。

こういうことで困っている人がいて、力になりたいけどどうしてあげたら良いのか。色々やってみるけど、なかなか上手くいかなくて難しい。
詳しくは書けませんが、そんなことを言っていました。

周りのために、自分がやれることは何か。
想いを持って行動するって、スキルを身につけようとすることよりも大事なことじゃないですか。
十分頑張っているんです。

自己肯定感。っていうんですかね。
それを、ちゃんと持つことって大切なんだな。って思います。
かくいう自分も、自己肯定感低い方だと思っているので、周りに支えながら生きています。
自分を客観的にみるって、言葉で言うのは簡単だけど実際は難しいと思っています。
だから、客観的にみるように意識しつつも、難しい時は周りを頼るようにしています。

周りは自分よりも自分のことを理解しているな。と感じる時が多々あります。
周りには感謝ですね。




頑張ってなくてもいい。
それは本当に思います。

頑張れない時もあるだろうし、ちょっと休憩。って時もあると思うので。

でも今回の友人みたいに、本人が気づいていない・思っていないだけで頑張っている人って多いです。

だから自分に優しく、人に優しくしたいものです。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

皆様の「スキ」や「フォロー」で更に頑張れますので、よろしければお願いします!

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