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大人の発達障害 と 多様性


失われた30年なんて
いつの時代も都合のいい言葉を作っては
ごまかす世の中だなぁと思っています

 娘っ子は「ゆとり世代」で
 自分の知らないことがあると

 「私はゆとり世代だから仕方ないでしょ」と
 言い訳に使って現実逃避していました

 今になると「こっぱずかしい」と 笑


その「失われた時代」に次々と出てきた

「発達障害」 「ADHD」 「アスペルガー症候群」
とかとかとか・・・

周りと違う個性の子にいろんな名札をつけて
「劣った人」というイメージを定着させています


今の私が もし病院で診断を受けたら

「大人の発達障害」「大人のADHD」
「大人のアスペルガー症候群」

そう診断される自信が100%あります 笑



自分ではそう思ったことはないですが
娘っ子が私を見ていると
注意力欠如・散漫だと言うのです

こっちに手を出したと思ったら
あっちに手を出してる

もう目に入ったものに気を取られて
「今○○してたのに もう違うことやってる」

買い物に行っても
あっちにこっちに ウロウロウロウロ

これって ADHDの特徴でしょ? 笑

  だから娘っ子は私のことを
  ずーーーっと馬鹿にしてきたのです

  集中力がない!
  散漫!!
  全部中途半端!(激怒)


ただ 娘っ子が在宅ワークになって

ここ一年ほど私の様子を観察していて
自分が間違っていたかも?と
娘っ子の中で意識改革が起こったそう 笑

「結局 最後は片がついている」

 物置を片付けていると思ったら
 床に工具が散乱して何か始めてる

 鍋を火にかけていると思ったら
 ズボンのお直しをしてる

 あっちこっちに手を出して
 全部中途半端に散らかして・・・と
 思っていたけれど

「夕飯の時間までには全部片付いてる」
「全部がちゃんと終わってる」

気が散ってバラバラになって
収拾がつかないと見えていた状況が

最後は全て片がついて収まっている


わかります??

私って昔から「やれば出来る子」です 笑


ただ
人のやり方ではできないし
人の時間軸ではできない

料理も「レシピ通りにはできない」けど
我流でおいしく作れるし

ミシンも裁縫も「正しくは出来ない」けど
我流でズボンのお直しもするし

自分のやり方で
自分のペースでなら
できるんです


あっちもこっちも手を出して!!
また散らかしてる!!と
子供の頃からずーーっと怒られてきたけど

最後に完了したらよくないっすか??


 買い物中もウロウロしているおかげで
 捜し物で苦労することもないし
 新製品もお買い得品も見つかるし

 ホームセンターでもウロウロするから
 あれとこれを組み合わせたら作れるぞ!
 ってアイデアも浮かぶし

 途中経過だけ見て判断する人には
 理解出来ない(理解する気がない)だけで
 私には私なりの理由・方法があるのです


自分が
「今やりたいこと」「今興味が湧いたこと」
には超集中して取り組めるけど

自分が興味の無いことは
聞いてても全く頭に入ってこない


学校には時間割があって時間制限があるし
家でも親の都合があって
幼稚園ですら時間割がある・・・

その枠にはまらない子は
「発達障害」とされます


日本の教育は

「文句を言わずにジッとしていられる人」
「言われたことを黙々と時間内に出来る人」
「個性をなくして周囲と同じにできる子」
を育てる所です

「言われたことを時間内に
 言われた通りにできて
 文句言わずに黙って働く人」を育てる所

指示されたことを時間内にきちんと出来る
自分で考えたりしない指示待ち族
「立派な社畜の基礎」を教える所です


だから
正しく生きてきた人ほど
立派な社畜になれます

だから
社畜を嘆く必要などないのです

世間的に正しいと言われる道を
間違いなく正しく歩いてきたのですから

学校でも会社でも表彰されるべきです
「いろんな勲章を胸につけて貰うべき」です



あともう一つ

コミュニケーション能力欠如と社会性のなさ

これも私にピッタリ 笑

 「大人のアスペルガー症候群」ですね


私は自分の感じたことを表現したい人です

 私の価値観を表現して
 相手の価値観を聞いてみたい

 自分が知らないことを知りたいし
 自分にないものを持っている人と
 関わってみたい


世間って一般的には
「無難なことが言える人」を評価します


 自分の思いは伝えず
 相手の思いも聞かず
 大多数がよしとする無難な所で手を打つ

 言葉のドッチボール(ぶつける)は
 できるけど

 言葉のキャッチボール(双方向)が
 できない人が

 本当はとても多いです

それって社会性が高いんですかね?

コミュニケーション能力が高いんですかね?


若い頃「お前は何を考えてるか分からん」と
いろんな人に言われましたけど

私からすると
「あんたが人の話を聞かないだけでしょ」

 私が話している途中で必ず腰を折って
 話を最後まで聞かないで

 「要するにこういうことよね?」って
 勝手に話をまとめる(←娘っ子もこれ)

「いやそうじゃなくて・・・」って言いかけたら

 こちらの言葉を遮り
「言い訳はしなくていい!」とか言って
 必ず怒り出す

 自分の予想していた言葉以外の言葉が
 相手から返ってくると

 「即座に否定して打ち返す」
 「受け取ろうとしない」

そもそも
相手の話を聞くつもりもない
理解しようとしないのも そっちの方

そうすると
「お前の言語化能力が低いからだろ!」って
言われるんですが

 これって思考型の違いもあると思います
 言語思考型と視覚思考型の違い

 家具の組み立て説明書を
  文字で説明を読みたいか(言語思考型)
  IKEAのように図で見たいか(視覚思考型)

 この社会は言語能力で人を計るので
 「言語能力が低い=発達障害」と
 決めつけているだけで

 視覚型からすれば
 「全てを言語で表現できるわけないでしょ」
 ってことです


言語型の人は「全てを言語で表せる」と
思っているようですが

視覚型の人は
「自分の脳内を表現する言葉が見つからない」

自覚はなくても「そんな状態」の人が多いんです


  自称「言語化能力の高い人」に
  ぜひお願いしたんですが

   ピカソの「ゲルニカ」を
   言語で表わして下さい

   解説書にかかれたような
   無難な「説明書き」ではなく

   あの絵を見たことがない人の頭の中に
   あの絵を完璧に想像できるように
   言語で表わしてみて下さい

  できないでしょ??



視覚思考型はそんな感じで

 自分では分かっている
 自分には見えているけれど
 それを表現する言葉が見つからないんです

 小さい頃からずっとそうで
 私の頭の中に見えているものを

 誰かにわかってほしい
 誰かに聞いてほしい

 だけどどう言えばいいのか分からない
 なんて言えばいいのか分からない

 誰もゆっくり聞き出そうとはしてくれず

 「早く言いなさい!!」
 「早く答えなさい!!」ばかり



私の宇宙・スピリチュアルもそうで

 「頭の中に間違いなくある」
 「自分には間違いなく見えている」

 自分ではハッキリ見えているけれど
 どう説明していいかわからない

 だから常に表現する言葉を探しています

57歳でもそんな状態なので

まだ知ってる言語が少ない子供たちに
名札をつけて障害扱いするのはやめて

「この子は全然違う思考型の人なのかも?」
そんな風にいろんな角度から見てほしい


それが本当の意味で

「多様性を認める」じゃないですか?


大勢とは違う個性を持つ人に
「発達障害」というレッテルを貼っておいて

「多様性を認めよう!」とか

言葉で表面だけ取り繕ってばかりで
「欺瞞だらけの気持ち悪い世の中」です



発達障害は障害なんかじゃありません

おかしな社会が「都合良く分類するため」に
勝手に名付けているだけで

 その他大勢とはちがう「個性」です


 自分が大勢とは違う個性なんだと
 気づいているといいのですが

 その他大勢の中にいるけれど
 なんか違う・・・って思っている人が
 本当はたくさんいるんです

 無難に社畜になったけど
 生きづらい人もたくさんいるんです



本屋へ行くと
「やりたいことの見つけ方」系の本が沢山
働き方や生き方の指南書も沢山あります

どうやって生きたらいいか分からない
どうやったら幸せになるのか分からない
大人がわかってないんです

 大学まで出ても
 やりたいことがわからないのです

 大学を出て大手に就職することが
 人生の目的だったのですから当然です


年功序列・終身雇用の時代は
とっくに終わってるのに

まだ頭の中は戦後教育のまま
レールにさえ乗れば幸せになれると信じている

先日の記事に書いた

「簿記の資格をとって事務職に就きたい」は

もっとレールを伸ばせば何とかなるかも・・・です

四十年前に簿記2級を取得している私が
自信を持ってハッキリ言います

  無理ですよ

今は昭和ではなく令和なので

AIに仕事が奪われる時代なので

今さら簿記を取得して事務職って・・・

  頭の中が昭和です



ここでスピリチュアルをぶっ込みますが

「この世界は意識で創られています」

あなたの意識が変わると外界が変わります

 つまり
 あなたの意識が変わらないと
 外界は変わらないのです

 5次元って外から変わるんじゃないんです
 あなたの内側から変えるんです

 3次元意識でいると
 あなたはずっと3次元のままです

 昭和の意識って超3次元でしょ?笑
 頭の中が昭和では5次元にはなれません

 「意識の変革」をしてもらうために
 3次元的思考をブッた切っています


社畜を馬鹿にしているのではありません

元夫も立派な会社の立派な社畜で
娘っ子も同じく

社会を支えて頂いているので
個人的にはとても感謝しているんです

 社畜でも「自分が幸せならいい」のです

 どんな生き方をしていても
 自分が幸せならいいのです

 毎食コンビニ飯を食べていても
 自分が幸せならいいのです


私のnoteは基本的に

社畜人生まっしぐらで生きてきて
超3次元的・超物質的思考の
我が娘っ子に向けて書いています

娘っ子いわく
「私みたいな奴が○万人いる」
そんな会社の社畜なので 笑

娘っ子みたいな「苦しむ社畜」に届け!
そう思っています

 ほら57歳にもなると そろそろ
 「人生の結果」が出る頃じゃないですか
 周りには不幸な人が多いんです 笑

 私自身は
 「超幸せな大人の発達障害」で
 「超幸せな社会不適合者」なので 笑


「レール」も「制限」です

3次元的な制限を手放していくことが
5次元への一歩です


下書きのままで整理できていない記事が
まだまだあるので頑張って書いて行きます

  言語化が難しいんだーーー!


最後まで読んで頂きありがとうございます





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