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義務教育と教育義務

おはようございます☀

皆の考えを教えてほしい案件

義務教育と教育義務

似て非なる言葉だよね

今の小中までの
学校教育の考え方は後者の言葉が近いような

教育を義務化させてるような

根幹から考えたい

そもそもなぜ

教育が必要なのか

何のための教育なのか

まず言葉を定義するために

義務教育とは、調べてみると

文部科学省のサイトが見つかった

これは間違いないね 安心だね


ふむふむ。

これは分かり易い!!

アリャリャ

ナンジャコリャ🙂

ルールについて
分かり易く書いてあるけど

普通教育までは保護者の義務です(なんか怖くなる、やらされてる感。やらないとダメ!のような)

なになに
インターナショナルスクールのようなものは
対象外ともある

何でだろう

何か厳しく教育についての定義があるみたいね

教育って形がないから

定義するのは難しいというのは分かるんだが

道筋は違えど、目指すべきゴールに向かっているなら、それも含める余地はあっても良いのではと思った

あれ、、?

そーいえば


義務教育を受けなければならない

目的やゴールが🥅見えない。

子供の時の1番大事な時間の消化が目的じゃないよね?

親が仕事で出てるから預かってもらうことが目的じゃないよね?


感性ビンビンな
一番大事な時間に

何が得られて

義務教育とするならば

どんなことを国として、子供たちに
期待しているのか

このテーマが根幹にほしいよね

なんか、そこが読み解けなかったな

ルールがあるだけのように感じた


この近年
保護者がモンスターになってしまう問題の
一つがここにあるような気がする

教論、親、子供、それぞれに

ありがとうの気持ちが芽生え難い構造

何のためにやってるのかが不透明

ゴールが無いものに、関係性が協力的になる
要素が少ない

当たり前にあることへの
感謝や疑問を持てないと

保護者側が子供たちに

何のために を 伝えることが
出来ないのではと思う

結果
仮想敵に仕立てると
仲間意識が芽生えるもんね

家族で、そんなことしないと
家族が成り立たないんかね


大事なことに戻す

人は陽炎だし

おぎゃー言って生まれたその時から
命には定めがある

その命を何のために

どんなことに

一生懸命、いただいた命を燃やすか

それにいつ、気付くか

そのことにいつ出逢えるか

その気づきを見つけるための
旅が人生の始まりと思ってる

この小学6年と中学3年の
9年という時間


そのなによりも大事なことを学び
考える時間があるのだろうか

お金の勉強やダンスを入れるのは話題として
ニュースで目にするが

自分のことを知る

自分の家族を知る

自分ごとにして、歴史や社会を学べたら

自分が何者になりたいのか

見つかり易いのかな〜、なんて思った


魂を繋いでくれた、親や先祖や家族に

繋がりを感じにくなるような
そんな
構造にあるような気がしてならない






日本国憲法
第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

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