今回ばかりは「森法務大臣」を<罷免>にしなければならない理由

1 はじめに

 検察官の定年延長問題により、行政による検察官への恣意的人事統制の弊害について、ついに本質的な議論が展開するかと期待していた矢先、この問題は、黒川検事長の賭博麻雀問題という、本当にどうしようもないスキャンダルによって、民主主義の本質にかかわる制度設計を議論する機会が失われつつあります。

 そのこと自体が、日本の民主主義にとって、大いにマイナスだと思いますが、さらに、その後の黒川検事長の処分を巡る法務省のあり方は、日本の法務行政を所管する法務省自らが、「法の支配」や「公正なルールの適用」を否定するという、近代民主主義国家としての自殺、ともいえる局面に至っています。

 日本が、法の支配を重視する民主主義国家であるならば、さすがに、森法務大臣を今回は罷免しなければなりません。その理由を以下に書きます。


2 2020.05.22 衆議院法務委員会 山尾議員の質問より

 法務委員会の山尾志桜里議員の質疑により、今回の黒川検事長の賭博マージャンに関して、以下の点が明らかになっていいます。
 

<認定事実>
黒川検事長自身が
・月に1~2回、3年間以上
・テンピン(1000点で100円)のレートで賭けマージャンをしていて
・毎回記者のハイヤーに同乗してお金を支払わずに帰っていた
 ということを認めている。
 

 これは、検事総長が、黒川検事長に、面談又は電話により、複数回ヒアリングした結果とのことです(何回、何時間やったかまでは答えられず事後的に報告することになった)。法務省として他のマージャン参加者である新聞記者から裏とりの供述を採るといったことまでは、なされていないようです。

 そして、これをもって、必要な調査は終わったとして、検事総長から口頭の注意である、「訓告」という措置がなされました。

 これは、懲戒処分ではなく、単なる注意です。

  

 山尾議員から、上記認定事実について、黒川検事長が自ら認めていて、それなのになぜ懲戒ではなくて訓告なのかと、森法務大臣に質問したところ、森大臣は

「事案の内容と諸般の事情を総合的に考慮し、適正な処分を行ったものでございます」

 と、説明する意欲をなくしたように無表情に答えました。

 総合的に考慮して判断するためには、個別の基準について、明確に認定する必要があります。すなわち「賭博」性と「常習」性を認定できるかどうかが重要です。

 そして、テンピンなら賭博に当たらないというなら、また月に1回から2回なら常習性がないというなら、すべての国民との関係でその規範を適用しなければなりません。

 法の適用は、すべての国民に公平でなければならないので、黒川氏が罰せられないなら、ほかの誰であっても、同じような頻度、同じようなレートで賭けマージャンをする限り、刑法上は罰せられないと明確になるべきです。そのためには、この個別の認定について、はっきりさせて基準化する必要があります。

 しかし、そこは全く明確には答えず、森大臣は、単に総合的に考慮したと繰り返しました。


 また、山尾議員が、

「今されている事実認定において、今回の黒川氏の行為が、賭博罪や常習賭博罪で罰せられる可罰的違法性(刑法上の罰則をあえて加えるべきほどの悪質性)が存在する可能性はあると考えているのか、無いと考えているのか」

と質問したところ

森大臣は、

「刑事処分については、捜査機関が法と証拠に基づいて判断するものなので法務省としてお答えをする立場にない」といって答えませんでした。


  森大臣が、総合考慮の結果、

- 「国家公務員規則上の懲戒処分には該当しない」と判断したというのに、

- この行為に「刑事上の可罰的違法性があるか否か」については答えなかった。

 実は、このことが、決定的に重大な問題なのです。

 この点を以下に詳述します。

3 「訓告」をめぐる本質的な問題 

3-1 「賭博」で「常習」なら懲戒処分になるはず

 黒川検事長による今回問題となっている一連の行為に「可罰的違法性がない」ことを明確にせずに、懲戒処分ではない「訓告」で済ませると決めてしまうということが、法の支配という観点から、決定的に問題なのです。

 ここで、黒川検事長が自ら認めている一連の行為が「賭博」に当たるか、この行為に「常習性」が認められるかは、刑事手続きにおいて、可罰的違法性があるといえるかを基礎づけていると同時に、国家公務員倫理規則上の懲戒処分への該当性の基準となっています。
 
 そして、この行為が、「賭博」に該当した時点で、国家公務員の懲戒処分の指針に従って、もう懲戒相当となることが確定します。戒告が減給です。
 「常習性」まで認められれば、停職処分です。
 いずれにせよ、「懲戒処分でない」訓告という措置になることはあり得ません。

  
 ということは、黒川検事長が、今回、懲戒処分を科されず、単なる注意である訓告に済まされたということは、法務省としては、「賭博」という認定も、「常習性」の認定もできない、と判断したはずです。そうでないとおかしい。

 そうでないなら(つまりこれが「賭博」であり「常習」であるなら)、黒川氏が、超法規的な何らかの理由で、通常の国家公務員の懲戒基準に反して、不当に軽い対応で許されたことになります。
 
 ですから、懲戒の要件にあたらない(つまり「賭博」性も「常習」性もない)という判断をしていないと、訓告にとどまるはずがなく、すると当然、刑事上の可罰的違法性(刑法で罰するに値するほどの悪質さ)は、無いと判断できていないとおかしいのです。
 

3-2 刑事的に罰せられる行為が懲戒事由にはならないのは明らかにおかしい

 この部分、込み入っているのですが、すごく重要です。

 何故なら、ある行為が、刑事上は罪になることなのに、国家公務員としての懲戒事由にはならないというのはおかしいからです。
 
 国家公務員規則における懲戒処分の基準が、刑法において罰せられる基準よりも厳しいことはあり得ても、緩いことはあり得ないのです。(普通は同じ文言なら一致しているはずです)
 
 そもそも、国家公務員規則上の懲戒処分は、公務員という身分に鑑み、国民から公務の適切公正な遂行を疑わせることがないようにと、決められているのです。ですから、ある対象行為が「刑事上の罪になる」にもかかわらず、「公務の適切性との関係で懲戒問題にならない」ということはあり得ないからです。
 

3-3 5/21時点で「訓告」と決められるなら、可罰的違法性はないと確認していないとおかしい


 ということは、黒川氏が、内部的な懲戒処分にさえ当たらない、という判断をした以上、当然刑事的にも可罰的違法性がないことが、予め確認されていなければおかしい。
 
 逆に、刑事的な可罰的違法性があるかないかがわからない状態なのなら、その時点では、内部的に、懲戒処分にしなくてよいかどうかは、わからない。つまり少なくとも「訓告」には決められない。
 
 したがって、法務省が黒川氏への措置を、5月21日の時点で「訓告」と決定することに合理性があるなら、その判断に先立って、刑事上は当然に可罰的違法性がないことが確認されているはずだし、逆に、そういう確認をせずに「訓告」にしたとしたら、最初から「懲戒しないという結論ありき」だったということです。
 
 
 そして、上にも引用した今日の質疑を見る限り、最初から、訓告で済ませてうやむやにすることが決まっていて、総合判断というマジックワードで懲戒しないことを一方的に決めてしまったということがほぼ明らかでしょう。

 具体的な事実認定も、判断基準も、可罰的違法性の有無も、何も説明しようとしないのですから。


4 まとめ ~森法務大臣を罷免すべきである~
  

 以上まとめます。
 
 今回、法務省は、黒川氏に関して、明確に国家公務員の懲戒規定を適用して、適切な処分を行おうとせず、うやむやに、訓告という口頭注意だけして、本人からの辞任を受け入れてしまいました。
 
 これは、組織として、法務省自らが、「法の支配に服する気がない」と宣言したに等しく、国民の信頼を著しく棄損し、国家の法秩序を蹂躙する行為です。
 
 
 この問題は、もはや黒川氏の今回の賭博行為そのものの違法性を超えた、法務省の国家機関としての著しい責任放棄、国民に対する信頼棄損行為です。したがって、所管大臣である森法務大臣を直ちに罷免すべきです。
 
 法務省という組織が、こうした重大問題が生じた際に、組織全体としてそれをうやむやにしようとして、公明正大な処分をする気がない、ということ自体の問題なのです。
 
 
 もう一度しつこく書きます。
 少なくとも森法務大臣は、総理大臣が罷免すべきです。
 
 そして、総理大臣が、その責任を果たさず、逆に慰留するとしたら、総理大臣を辞めさせるべきです。

 これは政局の問題ではありません。日本が法治国家で居続けられるか否かという問題なのです。



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