最近の変化・ラベルをつけるブームの修了&全てが順調だったら、私は何のために仕事をしているのか?問題

発達段階の上昇の仕方って、きっぱり上のランクに行ける、と言うのではなく、上の段階にいるタイミングもあれば、別の場面では下の段階に降りている事も有り、、。いきつ、もどりつ、だなぁ、と思う今日この頃。

そんな中で、最近の変化としては、第2-4段階の行動をとっている人を見てもイライラしたり、見下し感(←その時点で4aっぽいけど)がなくなってきたかなぁ。

あとは、その人のその時の言動でこの人は「レベルいくつだ」と決めつけないで、私が居ない別の場面では別のレベルを見せるかもしれないし、全体的にいつか上がっていく時があるかもしれないし。

固定化して判断するのではなく、もっと余裕、「あそび」をもってその人の事を受け止める事ができるようになってきたように思います。

ちょっと前まで、このコンセプトを学んでからは会う人、会う人に「この人はレベル◎だ」とラベルを貼る作業ばかりしていたけど、考えてみたらそういう作業もべつにいらないよなぁ。どの段階であろうと、愛しく思って存在を受け入れる。何かやりとりでテクニックが必要なときに、初めて、ラベルを使って効果的な行動をとっていけば良いわけで。

私のこれまでの変遷

・発達段階のコンセプトを学ぶ→

・まわりの人をレベル◎、とラベルを貼りまくる→

・自分の段階の上昇を喜ぶ→

・自分より段階が低い人の事を見下す→

・自分があるラベルを貼った人が、別の面を見せる事を知る(急に段階が上がったり)→

・ラベルが硬直的ではないと気付く→

・そうやって人が変わっていくなら、自分より下の人を上にひき上げてあげたい!と思う→

・Tさんに「引き上げる、というのは違う。自分の居る場所にしか連れてこれない。その人にはもっと別の良い場所があるかもしれない。光をある方向にあてて、こういう世界があると見せるだけ」と言われて腑に落ちる→

・全ては順調である、という事も腑に落ちる→

・全てが順調だったら、私がアドバイスしたり相手を思ってやりとりするのは意味ないのか?と悩む→今ここ

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私がいまやっている仕事も、私が頑張っても、頑張らなくても世界は順調。

このコンセプトってけっこう衝撃的で。というのも、子供の頃からずっと「世の中をよくしたい!」と思って生きてきたから。

ここはまだ、自分の中ですっきりする答えが出ない。Tさんには「ワクワクする事をすれば良いんだよ」と言われているけど、、。頭では理解出来るのだけど、まだ腑に落ちていない感じ。なんでだろう。掘り下げて考えてみたいわ。