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【日記】お焚き上げ(親子関係/コーヒー/ファッションセンス)

①親子関係が私の永遠のテーマ。両親への感謝の気持ちは勿論ある。でも、両親への抵抗感も同時に持ち合わせている。社会的地位のある職業に就き、役職もある両親。そこに至るまでの努力と苦労を思えば尊敬の念は自然に抱かれる。子ども2人を育てながらのキャリアアップの大変さは想像を絶する。簡単に真似できることではない。両親のことは大好きだ。大切にしていきたいと本心から思っている。両親のおかげで何不自由ない生活をし、病気が悪化して退職してから約1年無職無収入でも生きていける環境がある。その分際で何を言う、と私も思う。でも、私は両親と適度な距離を保ちたいと願っている。親子関係において1番の不幸は親が子を同一視してしまうことだと私は考えている。その反対も然り。自分の子どもなんだから自分と同じ価値観を持っていないのはおかしい。自分の親なんだからこれは分かってくれて当然。これが悲劇を呼ぶ。「言わなくても分かるはず/分かってほしい」は誰にも通用しないのに、何故か親子関係においてはその事実を忘れてしまう。親にはなんでも話せる関係性を築きたかった。親と子の前に、人と人でありたかった。好きな人が好きなタイプを「家族仲が良い人」と言っていて失恋したことがある。異様な緊張感が常に漂う私たち家族を「家族仲が良い」と言い表すことはどうしてもできなかった。神経質でステレオタイプな父と、不機嫌で人を支配する母。その2人の顔色を伺って怯える私たち兄弟。健全ではない。私は、両親を大切にしたいから両親と距離を置きたい。これが今私にできる、私なりの家族を大切にする方法。

②コーヒーが大好きだった。しかし、パニック障害の症状が悪化するにつれてコーヒーを飲むことができなくなってしまった。手軽でお気に入りだったセブンのアイスカフェラテももう当分飲んでいない。最近はノンカフェインコーヒーが大抵のお店にはあるため、どうしても飲みたい時はそれをチョイスしている。また、天下のスターバックスコーヒーは通常メニューのカスタムでデカフェに変更することも出来るため、重宝している。ただ、変更料金がかかるため、通常よりも高くなってしまう。病気というのは本当に迷惑な存在なのだ。生きること自体が大変な上に、かけなくていいお金までかけることになる。こっちは頼んでもいない&タダでこの身に間借りさせてやってるというのに、更にお金までかけさせるとはどういう了見なのか。腹立たしい。世の中金じゃ。いつか絶対元取ったるからな!という気持ちが私の治療意欲。

③ファッションセンスが無くて悪夢を見た。中3の文化祭の打ち上げで集まった時、私の着ていた服を仲良しの男子たちがイジった。プライドエベレストな私はまんまと傷ついてしまった。我が家は「見た目に時間を割くのは悪」「子どもが色気づくな」という教えだったため、自分の姿を客観視する機会がなかった。初めて知る外からの評価。そうか、私の服装は変なのか。不幸にもこの時私が着ていった服は、その当時の私の一張羅だった。渾身のコーディネートだったのだ。その日から、私はファッションがわからなくなってしまった。トラウマとなり、度々あの日の夢を見る。それから逃れるために、好きな服はあるけれど「どうせ似合わない」「私なんかが着るのは勿体ない」と言い訳をして逃げ続けた。どんどん肩が巻いて、背中が丸くなり、首の後ろに贅肉がつき、本当に何も似合わないマネキンができあがった。そんな私の意識に大きな変化をもたらしたのは、3歳年下の従妹だった。とにかく服が好きで、ストレス発散のために服を買いに行くファッションフリーク。その従妹に連れられて行った仙台駅のJEANASISとkasutaneで私は着せ替え人形にされた。「これも似合う!」「え〜やっぱり!これ似合うと思ってたの!」「あ、意外とこれもぴったりなんだ!」「このスカート着せてみたかった!」「最近服見る時にアサちゃんに似合いそうだなっていう視点で見ちゃう!」とイキイキと服を選んでいた。正面から「ファッションの楽しさ」をぶつけられて、私は拗らせたトラウマから来る逃れられない苦しみを味わう覚悟をした。でも、いくら身構えても、その苦しみは来なかった。代わりに私を包んだのは冒険心。世の中には沢山の服がある。着方も無限にある。それなら、私の好きと似合うが手を取り合えるファッションもあるのかもしれない。探しに行きたい。出会いたい。私も好きな物に身を包んで、好きな自分になりたい。ファッションにはその力があるのかもしれない。信じてみたい。26歳になって、私は解呪の時を迎えようとしている。


そのうち消すとか言ったけど、日記なので残すことにしました。どんだんず。

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