アラフォー女子のトロント&マイアミ留学日記 vol.0〜15年の会社員生活を卒業して留学に行くと決意するまで〜
「海外留学に行く」というと、「若い頃から海外に行きたいと思ってたの?」とよく聞かれるのですが・・・、私の場合は全然そんなことなくて。英語は嫌いではなかったし、受験科目では得意なほうだったけれど、日本人に多い「読み・書きはなんとかなるけど、聞く・話すは全くダメ」という状況でした。
そんな私が海外に目をむけるきっかけになったのが、営業時代の社長表彰。全国1位の営業成績をあげられたことで、インセンティブとして、ワシントンとニューヨークへの海外研修に行かせていただくことができました。これが私にとっての初海外。業界最大手のグローバル企業ということもあって、世界中から従業員が集まり表彰式が開催され、「受験英語は得意だったから、なんとかなるはず!」とわずかな希望を信じてその場に向かったものの、全く話せず・・・。
これをきっかけに英会話スクールに通い始め、そこで会社の夏休み期間に行ける1週間の短期留学プランがあることを知りました。「初めてだし、治安が良くて自然も楽しめるところがいいです」そんな私の希望を聞いて紹介されたのが、カナダのビクトリア。
まだスマホもない時代。紙の地図を握りしめながら、いろんな場所を巡ったり、語学学校で世界各国のクラスメイトと話したり・・・私の人生に大きな刺激を与えてくれた忘れられない旅になり、そしてカナダが大好きになりました。
その後、しばらく営業の仕事を頑張った後、次は人事の仕事へ自らキャリアチェンジ。新しい仕事にやりがいを感じながら、数年間が過ぎていき、気づけば30歳も過ぎ・・・
仕事もいいけど、小さい頃からの夢は「キャリアウーマン!」ではなく、「お嫁さん💓」だった私は、あらゆる婚活を始めました。あげればきりがないくらい、いろんな婚活の場に出かけては疲弊し、素敵だな〜と思った人とはうまくいかず・・・
そんな中、当時、All aboutで恋愛コラムを連載されていた久野こうじさんを知り、ワークショップに参加。そこで、子育て移住でカナダのバンクーバーに引っ越した久野さんが、女性向けのリトリート旅「恋するバンクーバー」を企画していることを知りました。現地集合で集まる女性数名での旅。日頃の仕事や日常生活を忘れ、初めて出会ったさまざまなバックグラウンドのメンバーとの旅。地元に住む久野さんだからこそ案内できるローカルな穴場を旅していくうちに、お互いが打ち解け、いろんな話をしながら、まるでバンクーバーに住んでいるような数日を過ごすことができ、またさらにカナダが大好きになりました。そして私も「いつか海外に住んでみたい、できれば子育て移住をしてみたい」そんな気持ちが芽生えるようになりました。
一方で現実では、婚活はうまくいかず、順調だったはずの仕事も暗雲がたちこめ、仕事もプライベートもモヤっと。仕事のストレスを言い訳に毎日浴びるようにひとり家でお酒を飲む日々・・・
でも「自分の人生、もっと自分らしく輝かせたい、なんとかしたい!」ひたすらいろんなセミナーやワークショップ、婚活イベントに出かける日々が続きました。
そんな時、ひょんなことから密かに片想いをしていた会社の年下男子が電撃結婚。「自分が尊敬できる、バリバリ仕事ができる女性がいい」そう言っていた彼が選んだのは、私の親友の幼馴染。どんな子か聞くと、キャリアウーマンとは程遠い、ワーホリでいろんな国に旅に出る自由奔放な女性。しかも超美人らしい。
それを聞いた私は、「もういい、私だって海外に行ってやる!」軽い気持ちで語学学校の説明会へ。もちろん彼のことだけが理由ではなくて、会社には帰国子女や海外の大学を卒業してきた海外経験豊富なほぼネイティブに近い英語力の方がたくさん入ってきていた頃。さらに私の英語コンプレックスは強くなるばかり・・・。でも、「できる人を羨ましく見ているだけの自分は嫌!自分のできるところまでチャレンジしてみたい」そんなふたつの思いが語学学校へ私を向かわせることになりました。
説明会に参加してみると、この学校には、社会人クラスがあり、幅広い年齢層の生徒が留学していることを知りました。そしてたまたま、特待生のプランがあることも紹介されました。簡単な留学の理由・志望動機のようなものを書いて提出すると、本部で審査があり、日本で1、2名(?)特待生が選ばれ、授業料の割引が受けられるとのこと。
特にチャレンジして損はないからと軽い気持ちで応募してみたところ、私が特待生に選ばれたとの連絡を受け、本格的に留学を考え始めた矢先、少し前に受けた人間ドックで腫瘍がみつかりました。幸い良性で再発の可能性もなかったけれど、入院・手術の経験は本気で自分の人生、これからの仕事・働き方を考えるきっかけになりました。
その後も大阪北部地震や巨大台風で身の危険を感じることが立て続けに起こり、「本気で自分の人生やりたいことをやろう。後悔のない人生を歩もう!」と決意が固まりました。
いわゆる業界最大手でバリバリ働く娘を誇りに思ってくれていた(であろう)両親も、「会社を辞めて留学に行きたい」という私に最初は驚いていたものの、「あなたの好きにしていいよ」と背中を押してくれました。この出来事がなければ両親の反対を押し切っていくことになっていたかもしれないし、それはやっぱり心苦しい。不安な想いもたくさんしたけれど、これもすべて必要な出来事だったと今ならば思えます。
そして年末、再度検診に行き、健康状態はOK!留学も問題ないとお医者さんからのお墨付きをいただき、家族にも報告。2019年年明け早々、退職届けを提出しました。
ところが・・・私が退職届を上司に提出した翌日、私が次にチャレンジしたいと思っていた広報のポジションで社内公募が始まりました。「なんでこのタイミングで?この仕事なら間違いなくチャレンジしたのに・・・」
一度は上司に退職手続きを保留してもらい、悩んだ末、やはり退職を決めました。理由は、「このままポジションを変わって今の会社で仕事を続けても、私自身は変われない気がする。今行かなかったら、一生後悔する」そう思ったから。今思えば、本気で留学にいくのか決意を試された出来事だったように思います。
ただ、退職届を出すと、急に会社を辞めることの現実味が出てきて、お金の不安、再就職の不安も。新卒の時の就活も、自分なりに苦労はしたし、留学を終えてからの転職活動もちゃんと決まるんだろうか??そんな気持ちも大きくなってきました。一方で、私は大学が薬学部で、薬剤師免許があることは再就職のひとつの選択肢として安心材料になったし、新卒から15年勤めてきたこと、10年間人事でキャリアを積んできたこと、再就職にむけてキャリアコンサルタントの国家資格やその他いろいろな民間資格もとってきたことが強みになるはずと周囲からは背中を押してもらえました。最終的には「なるようになる!自分の未来は自分で切り拓いていくしかない!」そう覚悟を決めました。
正式に退職の意向を周囲に伝えてからは、引き継ぎと送別会、一人暮らしの自宅を引き払い、留学までの間、実家で過ごすための引越し準備など怒涛の日々。いろいろあったけど、貴重な経験、素晴らしい方々との出会いに恵まれた会社員生活に感謝しかなかった。まだ会社を辞める実感がない中、一方でどこか晴れやかな気持ちで最終出社日に会社のビルをながめた光景は今でも鮮明に覚えています。
〜vol.0 最後までお読みいただき、ありがとうございました。もし同じように留学を興味を持ちながらも迷っている方に私の経験が少しでもお役に立つと嬉しいです。これからも留学生活のリアルストーリー、少しずつ投稿していきたいと思います〜
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