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『痛み』についての考察(1/2)

 今回は『痛み』について少し詳しく考えようと思う。我々治療家はクライアントの痛みを取り除く事を生業にしている。フィジカルトレーナーは選手が強く、ハイパフォーマンスを出しなおかつケガをしないようプログラムを構築しサポートする。

 我々は『痛み』のスペシャリストにならなければならない。以前『こり』について簡単な記事を書いた。

 これは非常に簡単な日本で一般的に知られている痛みのメカニズムを書いている。クライアントに説明するにはこのくらいが理解しやすいだろう。ただ我々は『痛み』で生きていかなければならない。

 この記事を書いているのは2020年4月だ。世界がコロナウイルスの蔓延でパニックになっているこの時期、クライアントの減少で生活に支障をきたしている仲間は多くいるはずだ。『痛み』を理解すればもっと治療の幅が広がる。そして直接クライアントに触れる事なく治療する可能性も出て来るだろう。

 僕はこう考える。コロナウイルスにより世界が後退したのではない。終息してもまた去年の様に戻るとは思えない。そう、時代が変わったのだ。先に進んだのだ。世界中の人がテレビを見ずにYouTubeを見出したように。 この変化に取り残されない様、必死に知恵を絞ろう。そして知識をつけよう。


1、『痛み』とは?

 そもそも痛みとは何だろう?定義は勿論ある。国際疼痛学会は『組織の実質的あるいは潜在的な障害に 伴う,あるいは,そのような障害を表す言葉で表現される不快な感覚あるいは 情動体験』と表している。

うん、ピンとこない。

 噛み砕くと僕はこう解釈する。”脳がダメージを受けたと感じて身体を守るために働きかけることを目的とした不快な感覚”

 要は生きるために大切なメカニズムだ。

 そのメカニズムは身を守るため行動を起こさせるのにこれ以上ないはっきりとした刺激なのである。そして、それは主観的な”感覚”と”感情”であり患者が痛いと言えば痛みはそこに存在する。


2、痛みは脳が感じる

 これは知っている人も多いだろう。ここで整理しておこう。

神経終末

      ↓ダメージ信号

痛みがダメージを保護し治癒に役立つと判断

痛み


 とまぁざっくりとこうなる。この時の”脳”は感情、過去の記憶、未来への意図を考慮した上で痛みを出すかどうかを判断し、二度と同じ判断は下さない

 つまりダメージ度合いは痛みの正確な尺度にはならない(近いものは想像できるが)。そして個人が全く違う疼痛反応を示す

 例えば同じ手のケガでもプロのギタリストとプロのサッカー選手ではその後の治癒に向けた行動はきっと異なるだろう。


3、肉体的ダメージと痛みは異なる、逆もまた然り

 あなたが痛みを抱えていたしても必ずしもケガをしているとは限らない。そしてあなたがケガをしても必ず痛みがあるとは限らない。

 例えばルフィがエースを助ける為にヒドイ身体の痛みを我慢して戦闘を繰り広げるがエースが赤犬にトドメを刺された時、ルフィの痛覚シグナルはきっとONになり死にかけたのだろう。

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 あるいはサメに噛まれたサーファーが岸までたどり着くまで痛みを感じないのも同じだろう。

 先にも書いたが痛みとは生きるためのメカニズムだ。緊急事態、つまり生存に不必要な痛みは感じないのだ。

 こんな経験やクライアントはいないだろうか。スポーツの試合後に気付く痛みや交通事故の後になって痛みが出る人。腰や肩に腰椎椎間板ヘルニアや腱板断裂などがあっても無痛の人は多くいる。


 ではどうやって痛みのないダメージを受けるのか?様々な例があるだろうが、いくつかあげてみよう。

 ・脳が危険だと思わないほど長時間かけての損傷

 ・回復がとても順調な損傷

 ・どの行動も効果がない、もしくはもう行動をしたか...etc


 例えばこんなシーン。急な腹痛で病院に行った時、診察に入った途端に痛みが緩和された。これは痛みに対して”行動”を起こした結果脳がリラックスして痛みが減少したのではないか。

 治療院で働いているとクライアントから「ここに来ると痛くなくなる」と言われることがある。これは非常に誇らしく思った方が良い。なぜならそのクライアントはあなたの事を心底信頼し痛みをとってくれる人として過去の記憶があるのだから。

パート(2/2)へ続く