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死ぬ前に「あ〜これやってよかったな」と思えるように

お久しぶりです。
皆さん今日も今日とて生命を消費していることかと思います。私も例外なく一分一秒消費しています。

急な話ですが、お釈迦様(ゴータマシッダールタ)の話をしたいと思います。(なんとな〜くの記憶と雰囲気で書きます)

いわゆる四門出遊を経て、ゴータマシッダールタが出家をしたとき
父(王様)が使いの者にゴータマを探して連れ戻すように命令しました。
やがて山奥で見つかり、使いの者がゴータマにこう言います。

「生活に困ったり、病気になったりして、悩み苦しみの中で出家をするものが多くいることはわかっている。しかし、ゴータマ様、あなたは王子という立場で全てを与えられ、何不自由なく生活しているのに、なぜ出家などするのでしょうか」

ゴータマは震えながらこう答えました。
「不自由のない生活もいずれは終わりが来るということが、どうして怖くないのか。いずれは誰しも老い、病に罹り、死んでいく。幸福な生活の裏に潜むこの苦しみ。これを解決しないことに、人の生きる意味はあるのだろうか。」
使いの者は「なるほど」と思って、その後ゴータマと一緒に修行することになる。

ーー私自身も、お釈迦様と同じような感覚になることが多々ある。
たとえば、海外旅行にいっても、今ひとつ楽しめない。
もちろん景色を見てきれいだと思うし、現地のものを食べて美味しいとも思う。しかし、心のどこかで虚無感のようなものを感じる。
それは、私自身が「何をどうやったって、死んだら全て終わる」という意識を強く持っているからだと思う。

もちろん、お釈迦様ほど高尚なものではないが、
どうせあと50年くらいしたら自分はこの世から居なくなるから
今どれだけ楽しくても、なにをやってもあんまり意味ないよな〜という感覚がある。どうせ全部無に還るし、みたいな。
お釈迦様はこれを全人類共通の問題であるとして、「老い・病気・死」から逃れる方法を探し求めて修行をされた。最終的には悟りを開きこれらの苦しみから精神的に解放され、その方法を教え広めたのが仏教のスタートというわけだが、私は別に仏教徒になるつもりはないから、別の視点で考えてみる。

死ぬ瞬間、あるいは、余命何ヶ月等で死期が近いことがわかった時、人は何を考えるのだろう。
恐らく答えは一つで、「これまでの人生を振り返る」のだと思う。
そりゃそうだ。これから死ぬ人間が、未来のことなど考えても何の意味もない。
ということは、過去というのが非常に重要な意味を持つようになってくる。
そうなると、死ぬ前に過去を振り返った時に、満足できるようにするのがよいのかもしれない。すなわち、「良い過去を作るために今を生きる」ということ。

未来を良くするために今を生きる人が多いと思う。
例えば
「将来、南の島で生活をしたいから今のうちに一所懸命働いて貯金する」
「老後は田舎でゆっくり暮らすために今頑張る」

でもそんな事しているうちに死んでしまったらどうなるんだろう。
未来のために生きていると、死ぬ前に後悔するような気がする。
不確定要素の多い人生だからこそ、「過去」という、この世で唯一確定していて、誰にも干渉できない財産を守っていく方に目を向けるのが
人の生き方としてしっくり来るような感じがする。

明日死ぬかも知れないから、
死ぬ前に「あ〜これやってよかった」という過去を少しでも多く作っておくことが、本当の幸福なのかもしれない。