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ビルド・ア・ガール

「映画に関してハズレは引いたことがない」ということは、私のちょっとした自慢である。まあ私が好んで観るようなミニシアター系の海外映画は、そもそも現地である程度の高い評価を得ているから日本でも上映されるのであって、内容についてそこそこの保証があるのだから当たり前といえば当たり前なのだが。

そんな私が「これはちょっとハズレだったかもしれないな……」と思った作品がある。先月下旬に公開した『ビルド・ア・ガール』だ。以下、内容にかなり触れながら個人的に考えたことをいろいろと書いてみる。

冴えない主人公ジョアンナが、その発想力と文章力を活かしてロック音楽誌の辛口ライターに大変身!自分の力で人生を大きく動かしていく……もし端的に紹介するならこういう感じだろうか。

私はこの映画を観ようと思ったのは、新宿武蔵野館に設置されていたド派手なパネルがポップで素敵だったから、何よりそのパネルに書かれていたキャッチコピーに魅かれたからであった。

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以下、画像左側より原文ママでの引用である。

ヒロインには人生が変わる瞬間がある。
新しい冒険は大抵ナゾの男の登場で始まるが、アタシは男に頼らない。
冒険はジブンで始める――

これを観た私は「お決まりの少女漫画的やプリンセス的展開じゃない映画がやっと出てきたか!!」と思った。ティーンエイジャーの女の子を主人公に据えると、どうしても白馬の王子様的存在が不可欠というような傾向がある。結局のところ、行きつくのは2人が結ばれるハッピーエンドになるのはオチ。私はこういうパターンにちょっと飽き飽きしていた。だからこそ、『ビルド・ア・ガール』の期待値は格段に上がってしまった。

上がりすぎてしまった期待値を抱え、入場特典のポストカード欲しさに金曜夜の上映会に滑り込んだ。冒頭のナレーションのイギリス英語に思わずにやけてしまいながらも鑑賞した。

終わり良ければすべて良し、という言葉がある。エンディング曲が素晴らしく、シアターを出た直後の後味は悪くはなかった。しかし、帰りの電車の中でジワジワと苦みのようなものがこみ上げてきた。

オチを言ってしまうと、ジョアンナは男と結ばれるわけではないが、結局は男の影響を強く受けてしまったのである。その男というのが、ジョンというジョアンナとは歳の離れたミュージシャンである。取材で会ったことをきっかけに、ジョアンナはジョンに恋をしてしまう。ここで、ああやっぱり恋愛が絡まないと女は変われないのかとがっかりした。

確かに冒険は自分で始めたし、最終的には裏では男を食いまくりな辛口ライター"ドリー・ワイルド"としての自分よりも"平凡な女子高生ジョアンナ"を選んだので、男に頼らない自分に行き着くわけだが、ロック誌のライターとして名を馳せる段階では男に頼りまくりだし(このあたりについては雑誌の特色的に男が多いのは仕方ないのかもしれない)、身体は売る。辛口な批評を書くようになったのも編集部の男たちに負けないため、無垢なティーンエイジャーの少女がセックスを知り色仕掛けを使うようになったのも男たちに囲まれていたから、ドリー・ワイルドをやめようと思ったのも編集部のクズ男のせい……頼ってはいないが影響は受けまくりである。ちなみにこれは私の体感だが、本編の3分の1くらいは下ネタが占めている。人によってはちょっとキツイものがあるかもしれない。

なんでこんなにがっかりしてしまったのか、途中で観るのがきつくなってしまったのか。2週間ほど経った今、腑に落ちたことがある。それは「平凡なジョアンナがあまりにも自分と近すぎる」ということである。

ジョアンナは赤毛のアンのようによく空想にふけっているし、自分の文章力に自身を持っている。これは私にも言えることだ。そういえば性格診断の一つで16 personalities というものがあるが、これによると私は赤毛のアンと同じINFPというものになるらしい。わりと妄想もする方だし、常に何かしらの小説のネタのようなものが湧いていたりする。文章を書くのが好きだから、こうしてnoteに書いている。自分の文章がどこかで評価されたいとも思う。なんなら学生のときにドリー・ワイルドのようなピンク寄りの赤髪にしていたことすらある。

とにかく、変化する前のジョアンナがどうも今の自分と被ってしまったらしい。そして変化していくジョアンナを観ているうちに、変化しないまま、ただスクリーンを前に座っているだけの自分がもどかしくなった。男たちとの関係を通して変化していくジョアンナを観ては、自分もああいうことをしなければ変化できないのかと悲しくなった。それは、私にとって最も縁のないやり方だったからである。

映画を観ていると、ときに「これはまるで自分のことではないか」と思ってしまうほどの作品に出会うことがあるという。あまりにも登場人物の境遇や生き方が自分と被って見えてしまうこともある。その登場人物の進む道に感化されることもあれば、逆に突き放されてしまうこともある。私はこの『ビルド・ア・ガール』という作品を通して、後者の経験をしたのである。

他の人の感想を読んでみると、ジョアンナの行動にドン引きしつつも楽しめたし最後は良かったというものが多い。どうやら私はドン引きしたまま最後まで持ち直すことができなかったらしい。自分と似た境遇の登場人物が出てくる作品を観ることで勇気づけられたりもするが、自分に近すぎるキャラクターはかえって逆効果であることをこの作品から学べたので良しとする。映画との付き合い方、作品との距離感、なかなか難しい。

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