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餃子(の皮)のはなし

餃子が食べたい。ふとそう思うことがある。特に大好物というわけではないのに数カ月に一度のペースで私の中での餃子需要がMAXになるのだ。

本格的な餃子が食べたければ中華料理屋やラーメン屋に行くし、手軽に食べたければスーパーのお惣菜コーナーを覗いてみる。しかし、数カ月に一度訪れるこの”餃子熱烈所望デー”は同時に”創作意欲爆発デー”でもある。無性に餃子を食べたくもあり、自分で作りたくもある。無心に餃子のタネをこね、ひとつひとつ黙々と包んでいく作業、餃子作りの大半を占めるその単純作業が好きなのだ。

餃子作りは楽しい。ニラがかなり細かく刻めたときはまだ序盤の過程であるのになぜか達成感があるし、タネをこねるのは幼少期の粘土あそびを彷彿とさせる。包む作業はいうまでもない。餃子職人気分でお店で出てくるものさながらに包んでみたり、小籠包のようにしてみたり、三角や四角にしてみたり。ちょっと具がはみ出していてもご愛嬌。みんなちがってみんないい。

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そうこうしているうちに包む作業が終わる。ひとりで食べるには多いのですぐに食べる半分は残し、もう半分はジップロックに入れて冷凍庫行きだ。さて、ここで問題が生じた。タネはうまいこと残らず包み終えたものの、餃子の皮だけが半端に残ってしまった。10枚ほどあればまた近々餃子を作るときに使うか…とも思うが、2、3枚だとそうもいかない。さてどうしようか。

冷蔵庫を開けて真っ先に目についたのは好物のキムチ。でもキムチだけだとつまらないな…と物色していて見つけたのは万能選手のとろけるチーズ。チーズは裏切らない。美味しいものと美味しいもの、さらに好物と好物の組み合わせだ。これは間違いなく傑作の予感がする。キムチの容器から餃子の皮で包めそうな葉を選び、スライスチーズをちぎってのせ、包む。焼いたときにチーズが溶け出さないよう、丁寧に包む。名付けてキムチーズ餃子だ(絶妙にダサい)。

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ガスコンロと違ってIHは熱がフライパンの真ん中に集中してしまうのか、どうしても真ん中の餃子たちが少し焦げてしまうが、なんとか焼き上げた。さて例のキムチーズ餃子の味やいかに。冷めるとチーズが固まってしまう気がするのでこれから実食といこう。

味は、予想通りの結果である。正確に言えば、何もつけずにそのまま食べるという選択をしたのが正解であった。やはり傑作であった。もはや26枚入りの餃子の皮をすべてキムチーズ餃子に捧げてもよかった気さえしてくる。いや、そうしたら私の心の餃子需要が満たされないので本末転倒なのだが。

チーズは裏切らない。辛い物好きの私に言わせればキムチも裏切らない。この「裏切らないものリスト」に新たに餃子の皮が加わった瞬間である。そうだ、今日は《餃子の皮記念日》としよう(?)

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ここでふと思い出したことがある。小学生くらいのときに祖父母の家でいとこたちと“闇餃子パーティー”なるものをしたときのことだ。餃子の皮で肉や野菜以外にも、缶詰のフルーツだったり普通餃子には使わないようないろいろな食材を包んで焼き、みんなでワイワイ食べた記憶がある。

この“闇餃子”には当たりとはずれの具がある。そこがこのパーティーの面白いところであるが、今思い返してみればこの“当たり”と“はずれ”を左右しているのは餃子のタレやラー油の存在なのではないか。餃子の皮自体は味がついていないし、至ってシンプルである。闇餃子の“闇”たる部分を担っている犯人は、餃子のタレ、人により酢やポン酢、そしてラー油、君たちだったのか。

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さて、ふざけた探偵ごっこはこのあたりにしておこう。

改めて考えてみると餃子の皮ってめちゃくちゃ万能なのではないか。どんな食材も包み込み、美味しくしてしまう。協調性と包容力と適応力と推進力のかたまりではないか。餃子という料理を考案し、餃子の皮を生み出した人間は天才ではなかろうか。そしてこの餃子の皮、登録商標のせいで餃子にしか用途がないと思われていることに一抹の悔しさを覚える。

同時に、これはうまい例え話になりそうだとも思った。

よくあるのは就職活動でのことだが、「自分は将来どんな人間になりたいか」といった旨の質問をされることがある。私は「将来どうなろうと私の勝手じゃん。あなたには関係ない」とひねくれた答えでかみつきそうになるのを抑え、「社会に貢献できる人間」や「自立した人間」といった当たり障りのない、いかにも優等生でユーモアなんて欠片もない答えを返していた。そんな気持ちなんて微塵もないし、何より月並み過ぎてインパクトもない。

だがこれからは「餃子の皮のような人間になりたい」と答えることにしよう。中の具と協調し包み込み、具の量や包み方に適応して形を変え、美味しさを引き出す。人に置き換えるならば、チームの人と協調し、様々な考えを柔軟に受け止め臨機応変に行動し、より良い方向へと導く存在といったところだろうか。餃子の皮という斬新な例え方で掴みはバッチリ、掘り下げてみるとなかなか言い得て妙であると思う。かなり重度の餃子好きと思われるだろうが、あながち間違ってはいないのでよしとする。

「餃子の皮のような人間になりたい。」

そう決めた今日はやはり《餃子の皮記念日》である。


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