高3の夏、羊飼いの気持ちを知る

#8月31日の夜に
きっと、今年は新型コロナウイルス流行のせいで、早く夏休みが終わっているところが多いかと思います。
なので、少し出遅れた感はありますが。
自分の高校3年生の思い出を語りたい。

元々休みがちだった

いつの頃からか、学校が苦手になった。
学校では、真面目な生徒であったとは思う。
成績はそこそこできるほう。
でも人とのコミュニケーションは苦手だった。小学校からの親しい友人くらいしか話せなかった。
しかも、その友人も、少しずつ離れ、高校進学で離ればなれになると、いっそう「親しい友人」はいなくなった。
新しい友人を作るのも苦手だった。

中学の頃からだろうか?
ぽつぽつと学校を休んでいた。
腹痛、頭痛、めまい、微熱。
「普通」なら休まない程度の不調で休むようになった。

中学の頃はそれでもなんとかなっていた。
授業にはそれなりについていける。
でも高校はそうは行かなかった。
宿題は多くなり、中学までの勉強の仕方では全然間に合わない。
授業を休めば、さらにわからなくなる。
辛いからまた休む。休むペースが増えた。

病院にも行った。
「起立性調節障害」という診断がついた。
「病気というより体質といった方がよく、服薬と生活リズムの改善で体の調子が整えば良くなってくるでしょう」
みたいなことを言われた気がする。

相変わらずぽつぽつと休みながら、行ける時には行ってみた。
そんな調子だからクラスでは孤立していた。

部活は文化系の部に入っていた。2年までは先輩達についていくだけだったけれど、3年は他の子が辞めて自分一人になってしまい、部長をしていた。休んでばかりなのに。
それでも部室は少しほっとする居場所だった。

高3の夏

夏休みに入る前の日、部活で大きなイベントがあった。
人手が足りず、顧問の先生が声をかけて、3年の応援要員が入部してくれた。
イベントのために皆でがんばって準備した。
この頃、休みは少なかったかもしれない。

イベント当日の少し前に誰かが言った。
「終わったら、次の日、終業式だし、打ち上げしない??」
いいねいいね!わくわくした。
学校休みがちで、そういうの自分にはあまりなかったから、嬉しかった。
心から楽しみにしていた。

イベントは、成功だった。
準備がんばったかいがあった。
達成感があった。

次の朝、40℃の熱を出した。
屋外でのイベントだったから、熱中症っぽかった。
終わったことで緊張がとけて、疲れが遅れて出てきたようだった。
打ち上げ行こうって約束したのに。
当時、連絡手段はPHSが中心で、メールとかはできたはずなんだけれど、皆でメール交換するほどの社会的スキルを持っていなかったわたしは、部員に連絡できなかった。

行きたいけど、体がどうしようもなく辛い。
さすがにこの熱では行けない。
担任に伝言頼めばいい?いや、部活の顧問の方がいいのかな?
ぐるぐるぐるぐる、悩んだ。
悩んだ挙げ句休むことにはしたけれど、連絡をどうしたか覚えていない。
たぶんだけど、顧問の先生に伝言を頼んだ気がする。
もしかしたら、誰にも連絡しなかったかもしれない。
だとしたら、最低だ。でも最低な選択しかできなかったような自分だったのかもしれない。

横になりながら、ぐらぐらする頭で思った。
ああ。今まで大したことないことで休んでたばちが当たったんだ。
ああ。これ、嘘つきの羊飼いじゃないか。
嘘ばかりついていたら信頼されなくなった子。
羊が食べられちゃうんだよね。
あれ、羊飼い自身も襲われちゃうんだっけ?

皆きっと、「いつもの休みか」「来たくなかったのかもね」みたいに思ってるのかな。
かなしくて悔しかった。
自分のそれまでの行いを恨んだ。
熱が出てしまった自分を恨んだ。

そのまま夏休みに入り、夏休みが明け。
わたしは学校に行けなかった。
部員に会ったら、なんて言えばいい?
どんな顔すればいい?
もう行けない。
でも卒業できなくなる。行かなければ。
行けない。行かなければ。行けない。

結局、そのあと学校にはほとんど行けなかった。
先生も色々してくれたとは思うけれど、きちんと話すことはできなかった。
親には怒鳴られ叱られ呆れられ。
それでも行けずに終わった。

いなくなりたい。そんなことを考えながら布団にもぐって過ごす毎日だった。

それから約20年後のわたし

ぴんぴんしてます!元気です!
夫さんと子どもと、毎日楽しくやってます。
仕事は諸事情で辞めたけど、そんな境遇の割に、悲観的にはなってません。

そう。あの頃は毎日辛くて仕方なかったけれど、20年もするとそう引きずらずに、語れます。

そんな20年後が、きっと来ます。

もちろん、そこまで至るにはそれなりに努力もいりました。

まず、通信制高校に転校して、4年生始めました。
どん底の空っぽだった自己肯定感を増やすために、自動車学校に通って車の免許取りました。
あと漢検2級も取りました。
大学受験したけど落ちたので、バイトしながら浪人して、大学生になりました。

大学は中学より高校よりずっと自由で楽しかった。
簡単にいうと「皆と同じじゃなくていい」環境になる。
コミュ障引きずってたけど、上を行く変わった人もたくさんいる。
そしてコミュ障の自分でも気にせず、認めて側にいてくれる人もたくさんいる。
自分もそんな存在になろうと思えて、フレンドリーになれた。

そうしてそれなりの優良企業に就職もできました。
結婚も出産もできました。

そんな未来は、きっと来ます。

もう無理だと思ったら

行きたくない。
行くくらいなら消えてしまいたい。
そう思ったら無理せず休んでいいと思います。
消える必要はありません。
どこにも居場所がないなら、下のサイトで公的機関を頼りましょう。

とにかく、安全なところに、安心なところに逃げて。
そしてできるなら好きなもの、おいしいものをたくさん食べて。
そしてゆっくり、寝てください。体と心を休めてください。
ただ生きているだけで、それだけで充分です。
この先のことは、ゆっくり考えれば大丈夫。
大丈夫。



こんな経験談でも、誰かに届けば幸いです。
読んでいただいてありがとうございました。