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宝石

こんにちは。台風と共にお盆が過ぎました。皆様のお住まいの地域は大丈夫だったでしょうか‥。
今年の夏は、地球の悲鳴が世界中に響き渡るような夏です。

週末になると毎週のように聞こえてくる花火の音や七夕祭り、今年も私のまわりでは夏の行事がひとつひとつ終わって行きます。

 弟の誕生日、昨年知った15年前の父の命日、弟とICUで過ごした最後の夏の2ヶ月間と、もうすぐ命日。

私にとって夏は、懐かしい思い出と苦しかった日々の思い出だらけで好きにはなれない季節ですが、
その想い出し方はこの数年で少しづつ、少しづつ、変化していきました。

 行きつ、戻りつ、立ちつくし、うずくまりしながらのゆっくりとした歩みでしたが、15年の時を経て弟と再会が果たされ、泣き崩れたICUの日からその道は始まり「さぁ、行け!」と放り出された、歩み始めるしかない新たな道でした。


人は、もう立ち上がれない、と地べたに倒れてやっと、キラリと光る宝石をその目で見つける事ができるのかもしれません。

それは順風満帆な時には見えない宝石で、ある人には価値のない宝石かもしれませんが、やすやすとお金で楽に手に入れる事はできない、見つけた人にしかわからない『気づき。』という名の尊い宝石です。



鎧を着て強がってみたり、心に蓋がされ哀しみを感じなくなったり、急に涙が溢れて止まらない日々が続いたり、

「こんなものいらない、ただ会いたい、もう一度会いたい、生きている弟に、父に会いたい。」
と、握りしめた宝石を投げ捨ててみたり。やっぱりなくしてはいけないとまた拾いに戻ってみたり。色んな私がいた道はそれでも、紛れもなく自分が歩いてきた無駄ではない道で、今に続いています。

あの子はもういないのに‥と何も楽しめなかった気持ちはいつしか、

「うん、うん、お姉は笑ってる方がいいよ。」

と、冗談ばかり言って笑わせていた弟がきっとそばで微笑んでいる、という、
心がぎゅっとなるような痛みと共存しながらの喜びへと変わり、

自分の事ばかりでなく誰かの幸せを願う時、
「そうそう、思いやり支え合いながら生きなさい。」
と、父が頷いているのを感じ、

私が日常にある当たり前の大切さを忘れそうになっている時、

「おいおい、相変わらずだな、感謝を忘れるなよ。」

と、二人が眉をひそめている姿がありありと浮かびます。

必ずいつかは皆、誰かの想い出の中の人になる時が来ます。旅立った私はその時、残された大切な存在達をそばで見守りながら、何を願うだろう。

 嘆き悲しむ家族に「ほら、そこにあるよ、気付いて!」と、オロオロしながら宝石のありかへと導こうとするのだろうか。


読んで下さってありがとうございました。今日のあなたが穏やかでありますように。そして、私も。







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