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46万回のありがとう #139 心の声の使い方

これはワタシが46万回のありがとうを言うまでの奇跡の記録。

139日目。
6月30日、重たい梅雨空。

ありがとうを地味に地道に唱え、トイレ掃除、玄関掃除、家の中を整えて気分良くしていたら、またお金が入ってきた。

自分が買った時よりも何故か高い値で取引された本2冊。
ワタシが講師を務める英語講座がその後も(確か前回のnoteでも書いたような)有料でするする〜っと売れたこと。

これらの共通点は一切の力が入っていなかったという事。

「どうせ売れないだろうけど、とりあえずやっとこう」

という脱力感満載でお届けした品々である。

それから、彼に対しても、いつもは例え疲れていても「会いたいから会いにいく!」というスタンスのワタシで、気合が全てだったのだが(笑)、この週末は自分の体の声を優先してみた。

ルーティンが崩れると、そこにはいつもとは違う景色が広がる。

きっとその景色はいつもそこにあったのだろうが、頭の声にしかフォーカスできていないと気づくことができない景色だ。

体の声を聞いて心の反応を見る。
頭の声を聞いて、また、心の反応を見る。

今回は、体の声を聞いた時に心が喜んだ。
頭の声に対する反応は、重かった。返って心配だわ〜、という不穏な空気すら心が醸し出していた。

脱ルーティン&体の声優先にはおまけがある。

いつもは聞けない彼の言葉を聞くことができたのだ。

ちなみにワタシがいつも心掛けていることは自分の気持ちをちゃんと伝えた上で相手を尊重する(あるいは尊重する姿勢を見せる)ことだ。

単に自分を押し殺して相手に従うのとは違って「ワタシはこう思う」という主張を必ずするようにしている。

そうすると、そうしなかった時と比べて何が違うかというと、後味がいいのだ。

後味って、結局これが「心の声」なんだと思う。

そして、必ず相手から褒められるというボーナス。
ま、別に褒められたいわけではないのだが、予想していなかった言葉をもらえるとやっぱり嬉しいわけで。

そういえば、今週、上司と揉めた(しょっちゅうだけど^^;)。
今回はワタシの中ですごく大きな変化があった。

それは、『彼にいつもしていることと同じことをみんなにすればいいんだ』ってこと。

「誰から何を思われようと、誰に嫌われようと、自分が思うことをじゃんじゃん口に出していこう」ということ。もちろんその上で相手を尊重する(素振りだけでも見せる)のだが。

一見、勝手に見えるかもしれない。
しかし人生はとても短いのだ。
実際は人のことを気にして生きれるほど人生長くないと思う。

綺麗事だけでは済まないのが生きるということ。
(遠藤周作の『沈黙』を読んでいて、なおのことそう思う今日この頃である。)

もう、今日死んでもいいんだというぐらい、自分を精一杯生きたいと改めて思ったのだ。

読んでくださる方にありがとう。
スキくださる方にありがとう。
画像提供にありがとう。
ありがとうは言われた側にも徳が積まれていくそうです。



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