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46万回目のありがとう #154 女性は愛の生き物だ。

これはワタシが46万回のありがとうを言うまでの奇跡の記録。

154日目。
毎日ありがとうを言っていた結果、自分でも驚くほど、「今」に集中している。

ちょっとでも過去のことや未来に囚われそうになると、無意識のうちに「ま、そんなこと今考えたって仕方ない」って思うようになった。

娘のことやら息子のこと、パートナーのこと、お金のこと、ワタシにもたくさん考えないといけないことはある。

でも、将来や過去に悩むというのは、問題を自ら作って自ら悩むというゲームにしか思えなくなった。悩むを楽しんで楽しい?って。

その代わり、今ふと浮かぶことを大事にするようになった。

ふと浮かんだ友人に連絡したり、ふと浮かんだことを調べたり、ふとパートナーの膝のこと(膝やら目やらしょっちゅう不調を訴えているので💦)が浮かべばその時に、「ところで膝は大丈夫?」って連絡入れたり。

今日も、10月に予定している旅行のことを考えたらつい、なくなっていくお金にフォーカスしてしまったのだけど、「いつ死ぬかわからないし、お金がないって言うけど、毎日めっちゃ増えてるやん」っていう心の声が聞こえてくる。

投資信託を長年しているので何もしなくてもお金が増えてるという事実に、今までは全くフォーカスしてなかった。だからお金に感謝も何もなかったけど、プラスの事実にフォーカスして毎日ありがたいなって思ったら、お金を払うときに「お金さん、ありがとう」と言っている自分に気がついた。

また、実際に見える形ではなくても、なんか知らないけどパートナーの彼がワタシをいつもお腹いっぱい食べさせてくれる。

前回だったか、前々回だったかに書いた英語講座もまた、有料で申し込みをしてくれる人がさらにいたし(びっくりするほど脱力営業にも関わらず)。

つまりはいかにして力を抜いてぼーっとしながら、我をなくしてありがとうを言い続けられるどうかってことだ。

望むことはいいことだけれど、力を入れすぎて望んでいたら、それは絶対手に入らないんだよね。

そこにはやっぱりエネルギーの軽い重いが関係していると思う。

蜘蛛の糸の話ってあれ、わかりやすいかも。
自我に塗れてると糸はすぐ切れちゃうのよね。
欲望やら執着やらで重いから。

我も我もと、糸にたくさんの人がよじ登ろうとするわけだけど、その人たちもみんなで重いから切れちゃうのは当たり前。物理的な重い軽いではなく。

多分、軽い人は寝てる間に神様に引き上げられてるわ。
いつもと違う道なのに景色がまるで違ったりする時はそういうことなのかもしれない。

結局、重い軽いは何が決めるかというとエゴなんだと思う。

ありがとうを唱えているワタシは今、まずはこれに気づけた段階。

まだどうしても自分の欲しいものやらやりたいことを優先したいけれど、これが例えば同じ行動だとしても、自分のその行動がより多くの人を幸せにすることならば、神様もすっとその糸を引き上げてくれるんじゃないかな。

ワタシがやりたいと思っていることも、ワタシ以外のより多くの人が幸せになるのなら神様はするりとそれをやらせてくれるはずだ。

10月に父島に行く計画を立てているが、イルカと泳ぐことと戦時中のことを感じて帰ってくることがワタシの目的。

おそらく父島の旅行体験は、今の仕事においても、多くの人に励みと知識を与えられるはず。今の時代の日本にたまたま生まれたワタシたちは超ラッキー。それを伝えたい。

「自分は生かされているだけ。ただ今を大事にさえすればいい」と随分とまあ楽観的になってきているワタシがこれからどう変わるのか。

楽観的と言えば、昨日、彼が将来の不安を話すから、なんの恐れも執着もなしにいつもの通り、「いいじゃん、ワタシと結婚すれば」と言った。

出会ったその日から言っているワタシのお決まり文句なんだが(言いたいこと言ってダメなら元々縁がないと考えているからなんでも言えるv)、彼が初めて「検討する」と言った。

周りの人の結婚生活を見て、自分は結婚なんてしないと言い続けてきた彼。いつもは笑って「もう!バカにして!」って怒るくせに、昨日はそんなことを言うものだからこちらも随分拍子抜けした。

以前は「この人といたらワタシはもっと幸せ」と、結婚結婚言っていたのだけど、今はシンプルに彼の夢を応援したいと思っている。多分ワタシから自分の幸せに対する執着がなくなったから起きた奇跡だろう。
いやぁ、見事。これが自分の内側で起きたことが外側に起きるという現象。
客観的に「ほー」と頷くワタシ。まあ結局、結婚もする時はするし、しない時はしないし、今考えたって仕方がない。

よく男性はプロバイダー、女性は愛。という言葉を聞くけれど、最近本当にそうだなって思う。執着なしの愛って最強なんだわ。

元夫との結婚生活は、自分も一生懸命プロバイダーになろうとしていた。つまり、お金を稼ぐことと家族以外から認められるってことに躍起になってた。だから我が家はお金はまあ普通にあったけど愛が全く欠けてたんだわ。

それは自分に対しても同じで、15年の結婚生活で元夫におねだりなんてしたこともなかった。欲しいものは全部自分で買ってきたし、それがいいと思ってきた。今考えたら、自分で広げた心の穴を一生懸命モノで埋めようとしていたよね。でも本当に欲しかったのは、人に愛を与えることの喜び。

男性は頼られることで生きる喜びを得て、女性は愛で答えればお互いうまくいくということがこの年になってようやくわかってきた。

愛で応える、というのは、例えば、「膝、大丈夫?」とか、常に気遣ってあげることとか、何かしてもらったら「ありがとう、すごく嬉しい」という言葉。こういう言葉とその気持ちが彼をとっても満足させるのだということを元夫と結婚している時にはわからなかった。

男性って戦闘モードで仕事している。だから、愛でリラックスさせてあげないとダメなのよね。ワタシみたく仕事をしている女性は、戦闘モードになっちゃうとなおのこと愛を忘れてしまうのよ。

そんなワタシは人に甘えることができなかった。頼ることが嫌いだった。

自分が頼られるのが苦手だから、他の人もそうなんだろうと思い込んでいたから。

甘えて頼ることで男の人は役に立つ喜びを得る。女性も実は人を頼ることで女性らしさが増していくんじゃないかなと思う。
いやぁ。全くもってワタシの結婚生活は真逆でした。

女性は特に、男性に「ありがとう」を言った方がいいということ。

男性はありがとうと口に出してはあんまり言わないけれど、プレゼントしたり、美味しいものを食べさせては「ありがとう」って言ってるんだよね。

昨日、プレゼントしたいって言われて断ってしまったワタシ。
今になって猛反省。ありがとうと受け取ることはまだ修行中です。

読んでくださった方にありがとう。
スキくださる方にもありがとう。
素敵な画像提供ありがとう。
ありがとうは言われた側にも徳が積まれていくそうです。



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