46万回のありがとう #194 我儘と我慢、そこに愛はあるか
これはワタシが46万回のありがとうを言うまでの奇跡の記録。
194日目。
先週土曜日に彼とのいざこざがあり、自分と向き合ってみたら、やっぱり今回はワタシの問題ではなく彼の問題だと気づいた。
ワタシが解決できることはなくて、彼自身が向き合わないといけないこと。
数日して彼からきたLINEでは彼自身も自分の問題だと認めていて、その内容はまさにワタシが思っていたことそのままだった。
それからも彼は自分に閉じこもって既読スルーだったけど、ワタシは言葉が浮かぶたびにLINEで伝え続けた。
ワタシのその時のエネルギーは『愛』。
彼を失う『恐れ』から来る言葉だと気づいたらその言葉は送らない。お蔵入り。
我儘と我慢って、自分が外に向かうか内に向かうかって感じがする。
少し前までは我慢はダメだと思って、とにかく自分が思うことはまっすぐ伝えることがワタシのモットーである『後悔しないこと』だと思っていた。
でもそれは違っていて、自分のその言葉がどんなエネルギーかを見極めないからワガママになるんだと思った。
自分優先の行動でも、自分が幸せになることで周りの人にも幸せが広がるならそれはワガママではない。
周りの人ばかりを優先しているようでも、それで自分が幸せだと感じるならそれはエネルギー的には愛だ。
周りに嫌われるのが嫌だからと、自分を殺してまで他人を優先していたら、エネルギー的にそれは愛ではない。恐れだ。
だから、これから彼に伝えたいことを表面的な言葉としてみるのではなく、エネルギーとして見たらどうだろう?と意識してLINEしていた。
そうすると自分の行動(一般的にはNGと言われる追いLINE)も、彼にとってはプラスなんだと確信を持てた。
今朝、(今我が家を訪れている)母が、父の掛かり付け医に怒った話をしてくれた。
先生はデータしか見ない。患者が目の前にいるのに患者の目を見て話さない。だから先生に
「ちゃんと主人の顔を見て話をしてあげてください」
と言ったそうだ。
そうなんだよね。
人間、愛なんだ。
そんなことを思いながら携帯を見たら、彼から2日ぶりに返信がきていた。ケンカ後初めてのハグの絵文字だ。
ありがとうは37万回を超えた。
奇跡って起こるものではなく起こすものなのかもしれない。
読んでくださる方にありがとう。
スキくださる方にありがとう。
ありがとうは言われた側にも徳が積まれて行くそうです。
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