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25歳までに、死にたいと思ってたんです
「25歳までに死にたいと思ってたんです。今は、35歳くらいまでは生きていてもいいかなって思ってますけど(笑)」
という友人のひとことが、あたまのなかにふわふわと浮かび続ける。そのときは咄嗟に「なにかのアーティストみたいだね(笑)」なんて、かるくかえしてしまったけど、たぶん、きっと、わたしはこのひとことがだいぶショックだったんだと思う。
***
大学時代に、仲の良い友人がいた。親友といってもいい。その子とは進路も住む場所も違ったのに、大学を卒業してからも、定期的に会っていたし、おたがいの実家にあそびに行くこともあるくらい仲が良かった。
大学時代も含め、付き合いも10年になるかというような頃、ぷつっとその子との関係が切れた。わたしは今でも、その糸をうまくつなぎあわせられないままでいる。
そうなったきっかけは、友人のうつ病だった。
彼女は、もともと家族との関係性があまり良好ではなく、それも原因だったのか、じぶんのことを過小評価しすぎたり、頑張り続けないといけないとじぶんを追い詰めすぎるところがあった。
そんな彼女にとって、大学院時代のアカハラに重なるようにふりかかってきた、職場でのパワハラは耐えきれないものだったのかもしれない。アカハラが原因で大学院時代に発症したうつ病が、やっとの思いで就職した彼女にまた戻ってきた。
それでも、彼女は折をみて定期的に連絡をくれたし、誰かと話すことが彼女の不安をやわらげるようなので、タイミングのあうときには、ふたりでよく電話もした。
そんな彼女は、うつ病と向き合いながら仕事へ戻る方法を模索していたものの、なかなか症状が改善せず、休職することになった。今思えば、彼女の症状はちょっとずつちょっとずつ泥沼にはまっていくような状況だったのかもしれないなと思う。
いつもは電話をするときも、必ず「電話してもいい?」とLINEにひとこと入れてくれる彼女だけど、そのときは急に電話がなった。めずらしいなと不思議に思いつつ、イヤな予感がして咄嗟に電話に出ると、「ごめん、ごめん、死にたい…」とかぼそい泣き声が聞こえてきた。
あとから知ったことだけど、うつ病の症状のひとつである希死念慮に彼女はたびたび襲われていた。
そのとき、わたしがなにを話したのか、必死すぎてちっとも覚えていないけれど、彼女がどんなに素敵なひとで、わたしにとってどれだけ大切な存在なのかをひたすら言葉にしてうったえていたと思う。
そのあと落ち着いた彼女からは、彼女がどんな状況にあるのか、また、死なないためによかったらまた電話をさせてほしいという長いLINEのメッセージが届いた。
そのときのわたしは、彼女を失わないようにとにかく必死だったし、できることはなんでもしたい気持ちと、彼女はわたしが自分の仕事や生活を犠牲にしすぎることを嫌がるだろうというためらいに、葛藤を感じていた。
だからこそ、電話に出るくらいならいくらでもするとそっと自分に誓ったし、彼女にもそう伝えた。
そうやってしばらくの間、突発的にかかってくる電話で彼女と話したり、LINEのやりとりをしたり、なんでもないときにたわいもない話をしたりした。
でもその彼女から、あるときふいに連絡が来なくなった。文字どおり、生きているのか、死んでいるのかもわからない。うつ病になってからの彼女は、彼女にとって負担になる連絡や人間関係を急に断つことがあって、わたしもなにか彼女の負担になったのかもしれないと思うと、うかつに連絡をすることもできなかった。
それから1年ほどが経ったころ、またぽつぽつと彼女から連絡が来たり、来たと思ったらメッセージが取り消されていたり、わたしも彼女との関わり方の正解がわからなくなってしまい、彼女とうまく連絡を取れずに今では2年ほど経ってしまっている。
***
そのときに痛感したのは、わたしがどれだけの言葉を尽くしても、彼女とどれだけの年月を一緒に過ごしてきても、彼女のことを大切で大好きな友人だと思っていても、彼女を救うことになにひとつ繋がらず、彼女が囚われ、追い詰められているなにかと彼女の間に入ることもできなかったという自分の無力さだった。
そんなわたしの後悔と悔しさと無念がただよう暗い淀の水面が、「25歳で死にたいと思っていた」という友人のひとことで、ゆらゆらとゆらされた。
だからこそ、そのひとことが今でもあたまからはなれないし、自分の無力さがツキツキと刺激され続けている。
どれだけわたしがその人のことを素敵だ、好きだ、大切だと思っていても、それがその人にとっての闇や靄を取り払う助けに、1mmもなりやしない。
生きてほしいと願うのは、わたしの勝手な押し付けなのかもしれないけど、でもそれでもやっぱり、自分にとって大切で好きな相手には、しあわせでいてほしいし、生きていてほしい。
そんな願いよりも、その人の中にある暗さに、その人を追い詰めるような過去の経験に勝てないことが、ただただ、くやしい。
その事実には、彼女や友人だけでなく、わたしも傷つけられていたんだと、いまさら気づく。無力さを嘆くしかできないなんて、どうしようもないし、自己中で嫌になることばかりだ。
彼女の大変さを思ったら、彼の辛さを思ったら、わたしのこころなんて、省みられなくてもいい。だけどそれと同時に、傷ついた自分をうけとめてあげられるのはわたししかいないのなら、少なくともわたしだけは、自分の味方でいてあげないと、とも思う。
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