財津理先生のドゥルーズ講義(音楽分、映画分多め)
アンリ・ベルクソン記事、ロラン・バルト記事が好評なので、哲学シリーズをまた書きます。
大学に入るまで、本格的な哲学書を読んだことがなかった。日本文学は読んでいて、それは、学校でのキリスト教教育、そこから共鳴した、U2などの洋楽ロックに対する反発である。中でも、音楽的、詩的、日本的な泉鏡花に入れ込んでいた。法政大学の後藤浩子先生の哲学ゼミに入って、フランスの哲学者、ジル・ドゥルーズが、サミュエル・ベケット脚本、バスター・キートン主演の「フィルム」について書いたテクストを読んで、鏡花の好きな自分が、ドゥルーズによって救われる、と思ったものだった。今も、詩人の吉増剛造の「鏡花フィルム」とゆうテクストに感化され、ベケットの「事の次第」を読んでいる。
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その後、ゼミの先生が、アイルランドとフランスへ二年間の研修へゆかれることとなり、経済学部での、ドゥルーズ「差異と反復」の翻訳者であられる、財津理先生による「差異と反復」の講義を、熱心に受講させていただくことになった。「毛皮を着たヴィーナス」ではないが、女性のサディスト(教育者)から、男性のサディストへとぼくを鞭打つ先生が変わったのである。映画サークルであったので、ドゥルーズ「シネマ1*運動イメージ」が出た後、翻訳者であられる、財津先生に「映画(シネマ)の編集(モンタージュ)について、教えてくれ、と嘆願すると、財津先生曰く、「君は蓮實(重彦)を読むのか?」と。「読みますね」と応えると、財津先生は、「蓮實は、「ゴダール・マネ・フーコー」で、宇野邦一の、「シネマ2*時間イメージ」での誤訳を指摘しているが、それはお門違いだ」と仰った。ぼくは、精神病院で入院仲間だった、宇野邦一先生の友人だとゆう高名なミュージシャンの方に、財津先生のお言葉をお話しさせていただいたのだが、彼は、楽しそうに、「ほう」と感心していらっしゃった。
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この財津先生との「閑雅な」やり取りの翌年から始まった講義に(それまでも、「状況」誌による、財津先生へのインタビューを財津先生自身が、解説する講義にも顔を出していたが)、初めて、通年で、まともに講義へ顔を出すこととなった。両講義に、通底するのは、スコットランドの哲学者、デイヴィッド・ヒュームである。講義は、200~400人入る教室が、学生でいっぱいで、その後の、哲学科や朝カル(財津先生のは除く)の講義を受講した時にも味わえなかった、熱気と緊張感に満ちみちていた。ただ、ぼくは、財津先生の仰る、「ものづくりをしている人が、ドゥルーズから着想を得ている」とゆうお言葉がなければ、出ることは無かったと思う。実際、この年は、ダンカンバカヤロー!の市村涼さんとの、バンド活動が始まり、映画から音楽へと、ぼくの表現方法の比重が変わってゆく頃であった。その前から、ぼくは市村学校の生徒であり、映画サークルやゼミにおいて教えを実践してきた。市村学校、たぶん今でもやっていると思う。ちなみに、市村さんを大学で指導していたのが、財津先生である。当時は、シネフィルゆうところの「映画断ち」も課題で、ゼミの後藤先生から、誘惑の多い新宿から大学(多摩)の近くに引っ越すように言われ、仰られた通りにしたが、引っ越した時には、寝袋一つであった。「家畜人ヤプ―」を、何もない部屋で読んでいた。ベースは、市村さんから借りたベースを弾いていた。実家で弾くと、母親が何が気に入らないのか、へたくそ!とゆってくるので、一人暮らしでよかった、と思う。
ゼミの先生は、ゼミ論指導で、ベルクソンについて書け、と仰られていたが、ぼくは、ドゥルーズを学んでいたわけである。ちなみに、ゼミの先生は、財津先生とドゥルーズやラカンのお話しをされていたそうである。ゼミの先生と思想ユニットを組まれている、澤野雅樹さんは、ドゥルーズ本の中で、「もちろん、私はドゥルーズを読むには予備知識として三人(ニーチェ、、ベルクソン、スピノザ、筆者注)の先達を読んでおかなければならないなどと、いかにも教師ぶった物言いをするつもりはない。ただ、ドゥルーズの思想に関心をもち、そこから古典に関心を持つのは素晴らしいことだろう。オアシスやトゥールを聴いた経験から、ビートルズやキング・クリムゾンに関心を持つのが素晴らしいことであるのと同様にー。」と書かれている。その後、ぼくは、以前、書いたようにアンリ・ベルクソン、ジョルジュ・バタイユとゆう文哲の門戸を叩くのである。