ベルクソン研究をしていた頃(師匠不在編)
ぼくは、放送大学生なのだが、経済学の教科書に、フランスの哲学者、アンリ・ベルクソンの名が載っていた。
ベルクソンは、中退した、法政大学時代の経済学部の哲学ゼミで、ゼミ論の課題として、与えられた。ベルクソンは、その文体の美しさから、ノーベル文学賞を受賞されたほどの人物である。しかしながら、当時、ベルクソンの名を知らなかったので、mixiで調べたら、夏目漱石が英訳で読んでいた話が載っていたので、いいかも!と思った。当時、映画サークルで映画は観ていたが、ゼミの後藤浩子先生からは、「創造的進化」(奇しくも経済学のテキストでは、この著書について触れられていた)の中の、「思考の映画的メカニズムと機械論的錯覚」という、映画を批判した箇所をまとめろ、とのことだったので、映画ばかり見て勉強しないぼくをたしなめる意図があったのかもしれない。ちなみに、先生から指定された箇所は,サドッホ(後藤浩子+澤野雅樹+矢作征男)名義で、現代思想という雑誌で引用されている。
ベルクソンの思想は神秘主義なのだが、神秘主義がよくわからない、という人には、東京大学名誉教授の、安冨歩の講演動画を参考にしていただければ、と思う。https://youtu.be/qq6wX0x-n74?si=w7pj4CfmnIBo-DOS
後藤先生は、課題を出された年度をもって、アイルランドとフランスへ、二年間の研修に行かれたので、同じ経済学部の財津理先生の、ベルクソンに影響を受けた、同じくフランスのジル・ドゥルーズという哲学者の著書、「差異と反復」を読む講義を受講していた。財津先生は、後藤先生曰く、「あんなに哲学やってる人は、見たことがない」とのことだったが、財津先生をしても、「ベルクソンの言っていることは、誰にもわかりません」とのことだった。
財津先生も、翌年、フランスへ研修に行かれた。後藤先生は、「パリに財津先生といました」と仰られていた。代講が、財津先生と共同でドゥルーズ「シネマ1*運動イメージ」の翻訳をされている、ベルクソン研究者の齋藤範先生だったので、ゼミに入って、ベルクソンについて学ぼう!と思ったが、ゼミ生と話し合う場所を設けていただくなど、丁寧な対応をしていただいた上で、その場で、「君は、文哲(文学部哲学科)の門戸を叩け!」との、鶴の一声を戴く。
その年は、東日本大震災の影響で、文哲のある、法政大学市ヶ谷キャンパスの開講が遅れていたので、その後、ベルクソン哲学の泰斗、安孫子信先生のゼミの最初の講義に行って、快く受け入れていただけたのだった。
安孫子先生も、善き教師で、飯田橋駅前のルノアールで、ベルクソンに関する個人授業をしてくださったり、ゼミの夏合宿に呼んでくださったりもした。ぼくも、夏合宿でゼミにて講読していた、「思想と動くもの」に収められている、ベルクソンのオックスフォード大学講演、「変化の知覚」の発表の機会を戴いたが、レジュメにまとめることができず、一時間ほど話してしまい、怒ることのない、安孫子先生を怒らせる事態となってしまった。その後、安孫子ゼミにはいかなくなるが、その年度の終わりごろに、ベルクソンやドゥルーズを読むことと、映画を観ることで、出会いが生まれることとなる。それまでも、ベルクソンを通じた出会いはあった。ただ、映画を介してのその出会いが、後藤先生から、お借りした「〈ぼく〉と世界をつなぐ哲学」という本にある、ドイツのヘーゲルという哲学者の言うところの「愛を知る」ということであれば、もっと相対的な、「社会を知る」ということが、その後に来るのだろう。後藤先生への、ベルクソン論の提出は、二年間踏ん張ったが、叶わなかった。
学問ってなんでしょうね?
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