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退屈は創造性の源なんだ

タイトルの通りなんですけども、退屈は創造性の源だよね、なんて話。

余裕があるとか、時間があるとかじゃないですよ。退屈ですww 暇で暇でしかたないくらいの退屈。。。そのくらいじゃないと遊ぶような発想は生まれない。新たな動機なんて沸き起こらない。

みんなよく「時間さえあれば、新しいことを学びたい」のにとか、「時間がないから、したいことができない」なんて言いますけど実際時間があったら勉強します?したいことします?

時間さえあればって言っても、丸1日休暇ができた程度では、朝心ゆくまで二度寝して、その後テレビみながらご飯でも食べてゆっくりしたら、もうなくなります。それが一週間だったとしてもたぶん同じです。2、3日ゆっくりしてショッピングに行って映画でも見に行ったら終わりです。

わたしの感覚的に「何かしよう!!」っていう抗い難い衝動が心に生まれるのって、1ヶ月くらい時間を持て余した後じゃないかと思うのですよね。

大学のとき夏季だけは通常学期の半分の2ヶ月しかないので、多くの学生は休学してボランティア活動をしたり、留学生はゆっくり帰国することもありました。不思議ですけども、1ヶ月を越えて何んにもすることないとね、そろそろ学校に戻って勉強でもはじめたいな、なんて自分でも信じ難い発想が浮かんでくるんですよ(笑)あんなにめんどくさいと思ってたのに。これね、小澤征爾さんも同じようなこと言ってました。ボストンに行って人生で初めて長期休暇を取らされてわかったって。

もう、一通りやりつくして、暇で暇で、あー、いよいよなんもやることないわーーってなったときに、心の中に沸き起こるもの。これがね、結構大事だと思うんです。

何もなくなったときに、あなたの心に湧き上がるものがあります?ない人は特にね、たぶん退屈なほどに時間を持て余してみるといいと、わたしは思うんです。そういう体験を味わったことのある人が今の日本にはとっても少ない。人間暇ができたら怠けるって、ほとんどの人がバカみたいに信じてる。でもね、そんなことぜったいないってわたしは思う。むろんそういう人もいるだろうけど、むしろ怠け続けられる方が特別だと思う。

だって、暇って苦痛だから。

そういう自分の生身の体がどういう反応をするのか、ほとんどの人は知らない。現代人ってみんな時間がない、もっと時間があればって言う割に、時間ができるとスマホに頼ったり、SNSでイイネしてみたり、映画を倍速再生でみてみたり、もったいない、もったいない。。。といって隙間をみんな埋めて使い切ってしまう。

子供も昔は飽きるくらいに時間が有り余ってて、公園で馬鹿みたいに走り回って、そのうちに鬼ごっこがはじまって、ヘンテコなローカルルールが追加されて、弱い子がいたらみそっかすルールができて、多様なメンバー構成に応じて楽しみ方は無尽に広がる。そうやって遊びが自由に創造できた。でも、いまは子供も面倒を見る親も「忙しい」何かに追われていて、遊び道具はみんな手頃で目の届くように管理された既製品になって、その枠の中でしか遊べなくなってる。自由にあらゆるものが手に入る時代になったけれど、手に入れた製品によってカタチづくられた生活は果たして自由なのか。

時間の価値ってさ、その長さそのものじゃなくって、退屈なほど使い捨てられる時間を持て余すゆとりじゃないかと思うのです。その膨大なゆとりを目の前にしたときに湧き上がってくるモノこそが豊かさなんじゃないかと、思うのです。

りなる



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