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概念化されすぎた世界で

それほど多くの選択肢もなく、みんなのほしいものはだいたい決まっていたころ。「何がほしいかわからない」なんてことで悩む人はまずいなかった。

あげる(作る)側も、決まった要求に対して決まったモノを供給すればよかった。

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モノが溢れるようになると、ほしいものの目的が具体的な「モノ」ではなく、そこから得られる感情や体験などの「概念」に代わっていく。

"アイスクリーム" が食べたいのではなく、"おいしい" という概念を満たしたい、これを食べることで "羨まし" がられたい、"映える" アイスが食べたい。満たされない想いは次第にモノから「概念」となって押し寄せる。

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体験やイメージなど、ふわふわした概念が目的になると、ますます要求は多様化し、もはや自分にとって何が最適なのか自分で判断がつかなくなってゆく。

すると不思議なことに「私のほしいモノを決めてください」という人が増えた。そんなものは他人には分かりようもないから、お金を払って具現化してもらったところで「話が違うじゃないか!!」なんてクレームに帰結したりする。こうなってしまうとますます何が正解なのかわからない。

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もはや多様化でもなく、「私」というアイデンティティーの放棄ではないかとすら思えてくる。

「あなた」のことはあなたにしかわからない。選択肢の多さと複雑さに、自分を失っていませんか?

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汎用性の高い「お金」にとりあえず投資しておけばよいと考える人が増えていく。でも、お金もただの概念。あなたのほしいもの「そのもの」じゃない。

ついでに、会社・仕事・家庭・結婚・政治・経済・国・宗教も人間が生み出した概念。概念が複雑になりすぎると、そのより戻しとして白黒をはっきりさせた世界観にすがりたくなる。正義はこうあるべきだ。女性はこうあるべきだ。家庭はこうでなきゃならない。単純化した概念をつくり「こうあるべき」とういうお決まりのパターンを受け入れればとりあえず世界を理解した気にはなれる。そうやって安心しようとする。

でも、そこに喜びは生まれない。喜びとは、人によって全て異なり、その多様な生のなかに当人の本質を見出したときにはじめて現れるものだから。

こうあるべき・こうでなければならない、から離れてみよう。

あなたの本質に立ち返るとき。あなたが喜びを感じるのはいつだろう?あなたは「楽しいこと」をしたいのではなくて、あなたが好きなことをするから楽しいと感じるんだ。「楽しいこと」などただの空想上の概念。そんなものは存在すらしていない。

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あなたが喜びを感じるその瞬間はあなたにしか味わえない。あなただけのもの。"あなたにできることをしよう" なんて言葉が世の中に蔓延している。まったくもって大きなお世話だ。そうやってみんな大海原に無責任に投げ出されている。

あなたが心の底から欲しているものが具体的に何なのかイメージしてみよう。具体的な「何か」がイメージできれば、自ずと次の一歩はついてくる。無理やりできることをしようなどと他人に言われる筋合いはない。それが浮かばないのなら何もしなくてよい。そんなときは世の中の「そうでなければならない」からただ距離を置こう。

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具体的な「何か」がイメージできれば人は集まってくる。モノは集まってくる。自然にあなたの行動がそこに向かうのだから。

りなる


#わたしのほしいもの #概念化 #哲学 #生きる

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