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読書嫌いの読書ノート ②

先日、読書ノートをつけているなんてnoteをしたら、コメントや記事を引用してくれたりと、いろんな人の意見が聞けてとてもおもしろかった。改めて、こんなに物を書くことが好きなnoterさん界隈でも意外と読書ノートをつける派は思ったよりずっと少数派なんだなという発見もあった。

今日はその後日談。先日、リアル友人と会って「読書メモつけなくっても本が好きでなんどでも読み返せるなんて、うらやましい限りだよ。」なんて話をしたところ「それはちゃう。そもそも目的が違うやん。」という反応が返ってきた。「筋トレで考えてみ。ランニングマシンにのってairPods聴きながら走るのが好きなもんは筋力がつかなくても走るんやで。あんたの場合は筋力をつけたくて、そのためには筋トレせなと思ってるやつの読み方やねん。つまり、好き嫌いやのうて ”質” の問題やな。だから、おもんないねん。」

そんな会話をした数日後に、『人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている』の著者、ふろむださんがnoteにこんな記事を書いていたのが目に止まった。

なるほど。ひとくちに「読書」と言っても、それの意味するところ(あるいは目的)にはだいぶ違いがある。。。ふろむださんのnoteでは、まずは読書の定義を9種類にも分類している!!(って分け過ぎじゃ!?www)その中で読書メモの重要性も説かれているのだけれど、読書をひとくくりにせず、「状況によって読み方も変えたほうがいいよ」ってのが、ふろむださんの主張だろう。

つまり、読書そのものが好きなら自由に読んで良い。それに関連した友人や恋人との会話や場を楽しむのも良い。わたしの友人もふろむださんも言っているように、この種の読書が増えるほど人生が豊かになる。ただ筋力をつけることに重きを置くべき場面もあって、そのときには読書の「質」に目を向けたほうがよい。テキストから得られる情報の深みが全く変わってくる。たいてい著者の真意は読み手のそれよりも数段深いところにある。そのための手段のひとつが読書メモ。これには思考のトルクを上げる役割がある。

読書というのは、「書かれている文章の解釈を創造する作業」です。これには膨大な計算が必要であり、暗算だけでやるのは無理があります。だから、テキストファイルを脳の拡張記憶領域として使って、この計算作業をやるのです。

ふろむだ@分裂勘違い君劇場

読書メモのやり方については違う部分もあるけれども、面倒でスローな手間をわざわざ挟むことで思考のトルクを上げることが重要だという点は同じ。文章の切り抜きだけならOCRで読み込みめば一瞬ですが(試したこともあります)、そういうことはしないほうがよい。読書ノートを記述するのにかかる時間そのものが思考の創造に重要だから。

思考のトルクの話は以前にも何度か取り上げている気がする。

実際には、読書時間が長くなった分以上に得られるものが深く多く強力になるので、トータルではタイパはいいです。

ふろむだ@分裂勘違い君劇場

こんなメモを書きながら読んで、楽しいか?と言う方がいますが、これ以外の方法ではなかなか到達できない、とても豊かな世界へ入っていくことができます。

ふろむだ@分裂勘違い君劇場

ふろむださんが読書好きかどうか実際のところは「?」だけど、「読書好きの読書ノート」のススメということで、気になった方はこちらのリンク先も読んでみてください!!よい読書ライフを!

りなる



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