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読書嫌いの読書ノート

わたしは読書ノートなるものをつけてるんです。このノートに読んだ本についての記録を残しています。

なんか矛盾しているように聞こえるかもですが、はじめた動機は読書が嫌いだから。読書嫌いでも、やっぱり読書が必要だと思うことは多々あるし、あぁ、この内容めっちゃ刺さる!!っていう瞬間は常にあります。ただ、どんなに感動した本でも、同じ本を二度読み返すのはおっくうなんですよ。嫌いな野菜をムリに食べたのに、なんで食べなおさなきゃいけないの?って感覚に近いかも!?(これわかってくれるひといるかなぁ。。。)ほんと、どうやったら同じものを読み返せるのか教えてほしいw

そんなこんなで、はじめたわたしの読書ノートのお話。

読書が嫌いな理由

なんで読書が嫌いなのかよくわかりませんが、思い返してみると中・高校生くらいまででしょうか、わたしは読書をすると自分の考えに「ノイズ」が入るって思っていた。 (←こう言うと、なんか偉そうwww)

すごく一生懸命に思考しているときに、とっても偉大な作家の感動的な本を読んでしまった。そんなの、どうしたって感化されるし、心から感動するに決まってます。すると、今もっている自分の考えや意見が自分由来のものなのか、その作者発祥のものなのかわからなくなる感覚が気持ち悪かった。

例えば、いちごを食べて「味わった」うえで、美味しいというのと、詳細に味の「説明を聞いて」、いちごが美味しいというのとでは、大きな開きがありますよね。ただ、どちらもいちごが美味しいという事実を「知っている」と言えてしまう。これ思想とか感性も同じで、感動的な本を読むほどに知った気になれてしまって、文章力が凄まじいものほど、自分自身がそれを味わったかのように錯覚してしまう。そこに実体験がないことがわからなくなってしまう。傑出した小説だったり思想家の言葉はそのくらい言葉の力をもっている、のだと思います。

それでも読書は必要

それでも自分ひとりの思考には限界がある。だって、人生の大半の時間をかけてさらに命まではった天才や偉人の言葉が、1冊の本にまとめられているんですもの。本ってそれだけでもひとつの世界や時代が集約されている。

恐らく、大学くらいからでしょうか自分の考えだったり思考の傾向が落ち着いてきて、自分と他人の区別がつくようになってから、「ノイズ」の気持ち悪さはいつの間にか消えた。だけど、幼少期に本を読まなかった弊害っていうのもたぶんあって、わたしは文字を読むのが遅いし、たぶん人より文字を読むということへの抵抗が強い。だから、同じ本を二度読むなんて考えられないw 好きなほんを何度も読み返すなんて言う人がいますが、もうそれだけで尊敬に値します!みんなスゴイ!

そこではじめた読書ノート

そうは言っても、やっぱり同じ本を読み返す必要ってでてくるんですよね。あれ?あの人なんていってたっけ?みたいなこと。要はそれを回避するために読書ノートをはじめたんです。

本を読み返したいと思ったら、そのノートにあるメモを読み返せばいいでしょ?わざわざ数百ページもの本をいちから読破する必要がなくなります。

感想文は意味がない

読書感想文を残している人の話を聞くことがあります。ただ、わたしの経験(用途)から言えば読書感想文や、あらすじのまとめ的なものはあまり意味がない。もちろん、当時その本を読んで自分がどういうことを感じたのかっていう日記としての記録であれば、とってもいいと思います。

わたしの場合は二度めに読み返したいと思ったときにどれだけ重要な情報がそこに残っているかだから、感想文では意味がないんです。なんでかっていうと、おそらく感想文っていうのは、例えば5年前に読んだ5年前の自分の感覚で書かれているわけです。ですから、5年前の感覚を超えることが絶対にできません。

改めて本を読み返すと、当時とは違ったものが見えるとかいうじゃないですか?感想文からはその感覚は得られません。ので、最初は感想文や要約なんかを書いていたんですが、それはやめました。

文字の切り抜きを残す

わたしがいま残しているノートは、文章の切り抜きです。気になった文章をそのまんま複写します。一言一句そのままです。意味が通りそうな冗長な文章は中略したりはしますが。これ結構めんどくさいです。でも、たぶんこっちのほうが100倍意味があります。

複写自体にも意味があります。目で文字を読んでたときには気づかなかった、文字の並びであったり、言い回しの思慮深さに気がつくことがあります。イメージできると思いますが「読む」よりも「書き写す」方が思考する速度が遅いので、そのぶんトルクがあがって、気づきが深くなるのかと思います。(文章って書き手からすると、一字一句読み手の3倍から10倍の推敲のうえで書かれていると思うんです。ですから序章からあとがきの構成まで、複写するくらいの努力なしには理解したとは言えないのかもしれないですよね。)

そして何より、数年後読み返したときに、あ!これははじめて読んだときには気が付かなかったけど、ここまで考慮したうえでの表現だったのだと気づくことがままあります。それは自分の言葉ではないので、5年前の自分の感性を超えた記録になりえるということです。

残せなかったものは取りこぼしてしまう

そうは言っても、ノートに残せなかった文章で、5年前には気付けなかった文章はどうしても取りこぼしてしまいます。が、それは致し方がないかと諦めますw

二度本を読み返すことができないといいましたが、何度かチャレンジしたことはあります。実験的に気になる文章を模写しながら読んだのですが、結果的に引用された箇所は一度めとほぼ一緒だった。まぁ、読み手が一緒ですからね、ツボる場所もほぼ変わらないということでしょうか。過去のわたしやるじゃん!って思って笑ってしまったww 当時読んで面白いと思った本はきっと著者の意図を理解できていたから面白かったんでしょう。

逆につまらないと感じた本は、ほんとうにつまらない内容か、自分が理解できていなかったかのどちらかです。後者の場合は、完全に取りこぼしてしまいます。つまらないと感じた本こそ、積読本にしといて(特に人から勧められたものなどは)思い出した頃に読み返してみるのが良いかもしれません。

ノートの残し方

興味をもって試そうと思った方のために、(いるかわかりませんけど)やり方も書いておきます。

わたしは読んだ書籍毎にファイルを分けてます。txtファイルにただ文字を打ち込んでます。ファイルの横断検索が使えるし機種依存がないので、txtファイルで管理するのがいいのじゃないかと思います。初期は、切り抜きした文章と本のページ数まで記録していた(読み返したときにその前後の文章まで振り返れるため)のですが、どうせ本体は読み返さないんだからと、ページの記録は今はやめました。

ファイル名を、読んだ日(←読了した日だったりノートを書きはじめた日だったりします。目安なのでだいたい時期がわかればよい)と、本のタイトルと、著者名を付与して、後は読書ノートフォルダにつっこんでおくだけです。

カテゴリ分けなど余計なことはせず、日付順で並ぶようにだけして、同一フォルダ内で一括管理するのが良いと思います。

読書嫌いの人ほど読書ノート

読書嫌いの人ほど読書ノートを残したほうがいいのじゃないかと思ったりします。圧倒的に未来に読む必要のある文字数を減らせます。目先の手間を惜しまないことで、嫌いなパクチーを食べる生涯摂取量を減らせますw(あ、わたしパクチーは好きです。)

手元に書籍は基本残しません。収集するクセもないので、買ったものは売れるならリサイクル。図書館で借りれるものは図書館で借りてしまう。手元にはあんまり残さない。その代わり、以前も紹介したのだけれど、booklog というWeb本棚サービスを使って本棚を眺めたりはしていますw

あまり共感得られた気がしないnoteですが、、、みなさんはどんな管理してます?

りなる



参考

「読書好き」のやひろさんの考察にて、引用していただきました。こちらも併せてどうぞ。読むという行為自体が娯楽であるっていうのは、全くもってうらやましい!w

なるほどー。しかし、わたしと同じ人は一定数いると思ってましたが、みなさんのコメントを見てるとかなり希なのか。。。!?


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