見出し画像

人生の「目標」から自由になろう

あけましておめでとうございます!(遅)年明けのnoteを読んでいると、今年の目標、人生の目標、改めて自分の生活を見直すnoteも多くて、ここ数日は心新たに活気あふれていてステキです。

今日は、そんな内省を深めるみなさんに目標を持つ上で少し異なる視点を持ってもらおうと思ってnoteしています。


目標ってなんだろう?

みなさんが掲げる「目標」の意味をちょっぴり掘り下げてみたいと思います。もう、ずいぶん前の記事ですが、「目標を捨てれば愉しくなる」という記事を書いたことがあります。ほとんど読まれなかったやつですけども。。。わたしは結構気に入っています。

この記事にもありますが、目標を持つことで心の豊かさを遠ざけてしまうことがある、とわたしは思っています。詳しくは後述しますが、目標を立てる前に、そもそも「目標」とはなんだろう?その意味を再考してみてほしいと思います。

別の言葉で表現してみる

まず、みなさん今年の目標を立てられていると思いますので、その目標をノートに書き出してみましょう。準備ができたら次の行に進んでください。

いいですか?それでは質問です。

その目標は、「1. 達成目標」ですか?「2. 行動指針」ですか?いずれか別の言葉で表現するとしたらどちらに分類されますか?

「達成目標」とはあなたが達成したい成果です。ToDoと言い換えてもよいです。一方で、「行動指針」というのは特定の条件下で状況判断の目安にするものです。ガイドラインと言い換えてもよいかもしれません。

みなさんが普段なにげなく「目標」というとき、達成目標(ToDo)であるのか、行動指針(ガイドライン)であるのかを意識せずに曖昧にしていることが多いのではないかと思います。明示的に別の言葉に置き換えることで、その違いをはっきりさせてみてください。では、より具体的に、そこにどのような違いがあるか見ていきましょう。

1.達成目標(ToDo)は幸せを遠ざける

多くの場合、みなさんの目標は「1. 達成目標」ではないかと思うのです。今年または残りの人生でやりたいことをリスト化して、それを実現しようと努力するのです。達成目標が定まることで、それを実現するためのタスクをより小さな単位に細分化して、更に期限をつけて小さな努力を積み重ねることでやがてゴールに辿り着くことができるようになります。達成目標を持つことにはそのような効果が期待できます!(素晴らしい!)

でも、待ってください。

これって、あなたが会社でやっている「評価制度と同じ」じゃあないですか?(時として暗黙的に)達成目標には具体的な期限や達成ラインが設けられます。年内に(=期限)本を100冊(=達成ライン)読みたい!という目標を定めたとします。ところが、次の年末にカウントしたら80冊しか読めてなかった。。。するとつまり、あなたの今年の「評価」は80点でした、という減点評価になるわけです。そうやってあなたは今年も満足の行く成果が出せなかったと、年末にテンションがだだ下がるのですwww

目標の本質的な目的は、あなた自身の成長なはずです。しかし、達成目標を作ることで成長の本質から目を反らすことになります。

評価制度がなぜ不毛だと感じるのか?それは、あなたの成長と無関係だからです。これはわたしの好きなインドの思想家サドグルの言葉ですが、世界は出来事の連続ではなく、ただ立ち表れる現象でしかありません。例えば、手袋の売上目標100万円を立てたとしましょう。その年「たまたま」寒波がきて手袋が飛ぶように売れた。。。またあるいは、海外旅行を年に3回しようという目標を立てた。。。その年「運悪く」パンデミックで渡航規制がされて旅行ができなかった。。。目標を達成したかしないかはあなたの努力や成長に必ずしも関わらない。未来はただ起こる自然現象なのです。それを無視して未来に達成すべき目標を設けたとしても、気まぐれにあなたの評価が上下するのみで、自分の成長と関係のない土俵で一喜一憂することになります。

もちろん、達成目標が無意味だというつもりはありません。スポーツ選手であったり受験生であったり明確なイベントやゴールが決まっているような場合、または明確な存在目的が定められている組織やチームにとっては有効です。行動目標を立て計画通りにタスクをこなすことは、着実にゴールに近づくためのテクニックでしかないということです。

2.行動指針(ガイドライン)を意識しよう

わたしも年始にはよく内省して、今年はどんな一年にしようかなぁーなどと思いを巡らせます。でも、それは達成目標を立てることとは少し違います。では、どんな目標かといえば、行動指針(ガイドライン)を決めるのです。

例えば、今年は本を100冊読もう、ではなく。今年は本を読むようにしよう。小説以外の本を読もうかな。できれば歴史関連の本に手を出してみよう。そんな具合です。行動指針というのは、迷ったときや、行く宛が定まらないときの目安を決めるものです。読むべき本がわかっているときはその本を迷わず手に取ればよろしい!他にやるべきことがあるときは、迷わずそちらを優先させたらいい!でも、ふっと暇な時間ができたとき、何をするか迷ったとき「あ、それなら本を読もう!」というガイドになればいい。本屋さんでどんな本を読むか迷ったときに「あ、小説以外の棚も覗いてみようかな」というガイドになればいい。そうやって自分の成長の道標を作ってあげたらそれでいいのです。

わたしの考えるあるべき目標というのは、自分の道標になってくれるものです。すなわち、行動指針でありガイドラインです。そこには、達成だとか到達すべきゴールといった視点はありません。まだ見ぬ365日後の到達点など決めたところで、その達成にあなたは関与できないのです。世界は自然発生的に起こり続ける現象のさなかにあるのですから。

ですからもちろん、あなたが自分の軸をすでに確立していて、人生を十分に全うしていると思えるのであれば、そもそもガイドラインすら不要なのではないかと思います。

人生の目標を問われたとき

あるTV局の年始の特番で、自身の一年を内省するということからもう少し大きなトピックに派生して、あなたが人生の最後に「あぁ、悔いのない人生だった」と思うために、これから何を目標にしますか?みたいな質問がなされていました。わたしはこの質問の意味がピンときませんでした。。。というか、答えられませんでした。

しばらく、うーーんと考えていたのですが、この記事を書いていて思い当たりました。なるほど、この質問は「達成目標(ToDo)でしか答えられない」巧妙な質問なのです。映画『死ぬまでにしたい100のこと』もそうですね、エンディングノートなんかもそうかもしれません。これらは、今までやりたくてもできなかったことを死ぬまでにしたい。人生は思っているほど長くない、だから後悔のないよう、できることに優先順位をつけて今から行動しよう!と言うことです。つまり、いずれも目標という言葉の背景にあるのは達成目標(ToDoリスト)です。

この質問は実にやっかいな質問です。注意深く対応しないと、あなたは知らずのうちに達成目標(ToDo)の評価トリックに誘導されてしまいます。

悔いのない人生ってなんだろう

これは昔わたしが自分によく自問したことでもあるのですが、悔いのない人生っていったいなんだろう。それを考える前に「悔いの残る」人生を考えて見てほしいと思います。

悔いの残る人生というのは、2つあると思います。

  1. やりたかったことが未達成(未知に対する悔い

  2. 過去の失敗への後悔(既知に対する悔い

いずれも考えるだけ不毛だという結論になるのですが、順番に見ていきます。

1.やりたかったことを成せずに死ぬこと

やり残しに悔いが残るということはわからなくもありませんが、こう考えてみてはどうでしょう?あなたの人生は「いつ終わる」のですか?もし、ディズニーランドに行きたいというやり残しがあって、、、あなたの人生が突如あと10分後に終わるとしたら、あなたの人生はどうやったって満たされないことになります。どんなに努力しようとも、やり残しがなくなる瞬間を必ず死ぬ前に設定することなどできません。だから、その瞬間は常に「今」にしかないんです。

ですから、もし悔いのない人生などというものがあるとすれば、わたしはペコちゃん飴のようなものだと思います。どこで切っても同じ。どこで切れても同じ顔がでてくる心境です。つまり、今この瞬間死んでも、明日死んでも、それが50年後でも、、、あぁ、だいたい満足!と同じように思える心構えです。それがない限り、悔いのない人生など絶対に訪れないということです。いつ起こるかもわからない死に準備することなどできませんから。

人生の価値というのは、今この瞬間に満足に生きることです。今死んで後悔するのであれば、それが明日であろうと、50年後であろうと後悔はたぶん消えないでしょう。ディズニーランドに行ったか行かなかったかの目標管理(ToDoリスト)のなかで人生を生きていませんか。

2.過去の失敗に対する後悔の念

過去の後悔の念をあげる人もいるかと思います。あのとき、ああしておけばよかった。あのとき、あんなこと言わなければよかった。過去の自分のしてしまった判断が間違いであったこと。その振り返りから生まれる負の感情です。過去の自分の失敗を振り返ることはとても大事なことですし、失敗に苦々しい感情が沸き起こるのも自然なことです。

じゃ、過去に戻ってやり直したいですか?わたしは過去の失敗に対する自責の念からこの質問をよく自問していたことがあります。あのとき友人に一言声をかけておけばよかった。あんな学校に行かなければよかった。もっと早くに転職しておけばよかった。あのプロジェクトに参画しておけばよかった。人生失敗だらけ、苦しいことばかり。。。では、その直前に時間を巻きもどすから、もう一度やり直したいか?そう自問した時、わたしの答えは常にノーでした。ときどきノーではありません。常にノーです。

もちろん今の記憶を引き継げるなら別ですよ?失敗するとわかった上で過去に戻れるならそれは戻りたい!!w でも、人生においてそんなことは起こらない。未来は常にベールに隠されていますから。そのうえで、その時その時の「最善の選択が今」なわけです。その時、得られる限りのネタで、たいてい人は最善の道を選択しているものです。

だから過去についての後悔の念はあるけれども、過去の自分の選択について悔いることはありません。それは当時の自分のスペックでは最善の選択だったとわかっているからです。

過去の選択を悔いないための最善の方法がもしあるとするなら、それも上に同じく今この瞬間に妥協しないことくらいです。未来の自分が過去を振り返ったときに、あのときの決断や行動は、あのときの自分にとって最善だったと思えるかどうか、でしかありません。

悔いのない人生を送るために

悔いのない人生を送るための達成目標などというものは幻想です。人生にそこそこ満足する瞬間は「今」にしか訪れません。そして、過去の決断を悔やまないためにできることも今この瞬間に生きることでしかありません。

つまり、悔いのない人生というのは、何某の目標を達成するとかそういうことではなく、今この瞬間に死んでも「まあ、ええよ」と思える心の在り方じゃないかとわたしは思うのです。

りなる


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?