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母の命日に。-強い気持ち、弱い愛-

困った。
母を思うと湧き上がる気持ちに、私はいまだにラベリングができない。
つまりは、ことばとして彼女への想いを綴ることが難しい、ということである。
そもそも、私が「書けなくなった」最大の要因が、「母の死」なのだ。
仕方ないので、いま、引き出せる精いっぱいのことばをここに残そうと思う。

数年前、私はレゲエの神様と称されるボブ・マーリーが残したという名言を知った。


Love the life you live,Live the life you love.
あなたの生きるこの人生を愛せ、あなたが愛する人生を生きろ。


んー。なんとも含蓄が深い。
難しいぞ、これ。

当たり前のことだが、私たちは誰一人として「自らの意思で」生まれてきたわけではない。
意思とは無関係にこの地上に生まれるのだが、その場所や年代や環境は人それぞれだ。
恵まれた環境に生まれる者も、そうじゃ無い者もいる。
私は後者だった。
長くなるので詳しくは述べられないが、私が生まれ育った環境は子供には過酷なものだった。命の危機を感じながら生活するような場だった、とだけ言っておく。
私はこの環境を当然のごとく忌み嫌った。逃げ出したかった。


Love the life you live?

んなもん、無理に決まっている。


この環境に慣れ親しんだら私の人生は終わってしまうと、子ども心にも分かった。
だから必死で勉強した。何も与えられなくても、勉強なら自分で得られるものがあるからだ。

もちろん、私は地頭というものに恵まれたわけでもなく、当然のごとく自分で稼ぐことが前提の経済的事情。そんなこんなで、行ける大学は限られたから、大した学歴ではない。
それでも与えられた環境から逃げ出すには十分だった。
とにかく、「そこ」ーつまり、与えられた環境に逆バリを張ることが私の目標であり、それを成すことが私の成功だった。

そうして、「そこ」から自力で少しづ距離を置くことができると、「そこ」への肯定感も芽生えてきた。
まぁ、今の私があるのは、過去があったおかげなんだから。ってやつだ。


Love the life you live?
うん、まぁできるかもね。

くらいの気持ちはあった。

ところが、18年前、自宅が全焼。私は逃げ出したが母が命を落としてしまうという出来事が起きた。
その後のことは、本が一冊書けるほどの出来事や想いがあるので、とりあえず端折る。
それから、私はいわゆるSurvivor’s guilt(生存者の罪悪感)に苛まれ続けた。廃人のように寝たきりの生活を送り、周囲から社会復帰は無理だろうと思われていた時期もあった。


愛憎、ここに極まれり。
母の愛情を求め続け得らず、やがてあきらめた過去。
愛されなくても、母なのだからと、助けてきた日々。
それなのに。
母よ、あなたは、最期に何をしでかしてくれたのだ!?


18年経った。私にもいろんなことがあった。
結婚し、子どもができ、無条件に愛されるということを、30歳を過ぎて初めて知った。
「私は私なんだ」「私にも心があるんだ」と叫び続ける必要はなくなった。
去年は、大好きだった仕事を辞めるに至る決心をした。
それは、彼女とは関係ないようで、実に深く密接に絡み合っている。
(長くなるので、例によって端折る。)

18年経った。


Love the life you live.
うん、そうだね。


ようやく私は本当の意味でそのスタート地点に立てた気がするのだ。
母はもういない。私の目の前から過ぎ去ってしまった。
その母を、愛憎極まる複雑な思いと葛藤とともに、心の中心に鎮座させていたのは、誰でもなく、私自身なのだ。自縄自縛だ。
18年だ。
もういいじゃないか。

Live the life you love.
あなたの愛する人生を生きよ。


そうすることにするよ、お母さん。


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