「知らないことを知るための努力をしないこと」の恐ろしさ
「知らないことを知るための努力をしない」ことで、デメリットがおこることはたくさんある。
無意識に自身の信用を落としてしまうことがある。
自分が守るべき人を守れなくなる。
その原因は、自分が知らないものをとことん敬遠し続けているから。つまり、自分が勉強していないから。
信用について。コミュニティのなかでは、AさんとBさんが「Cさんは頭がおかしい」などと悪口を平然と人の前でいうことがある。
これはとてもよろしくないことであり、もちろん悪口を言うこと自体がだめなことである。ただ、それ以外に重要なことは、「悪口を言うことで、自分も悪口を言われているのではないか」という「疑いの気持ち」を、自分が気づかないうちにもたせてしまうことである。
具体的な例を出すと、Aさんが悪口を言うことで、Bさんに疑念をもたせているのである。その逆も発生するのである。
このように、悪口を言うことそれ自体には何の価値もないし、それどころか信用を無くすという悪い側面しかもっていない。
このことを「知ろうとしない」ことで、自身の信用を落としている人が多くいる。
ぼくは、これを知った時から、悪口を人に対していうことを一切やめた。
そうすることで、自分が人を判断することもなくなったし、ありのままその状況を受け入れるという力も手に入れられた。
これを続ければ、信用の獲得にもつながるし、何より居心地の良いコミュニティをつくる基礎を作れる。この「悪口を言わない文化」はとても重要である。
「守ること」について。
知らないことで、また、知るべきことを知ろうとしないことで、自身が社会の流れについていくことができなくなる。
これはかなりの痛手を伴う。自分の能力を身につけるということを放棄しているからだ。
つまりそれが意味することは、「自身で考える力、稼ぐ力」を身につけていないことと同義である。
したがって、知るべきことを知ることは重要です。「知ろうとする努力」は放棄してはいけない。
今日もおよみいただき、ありがとうございました。
あなたの日々が、素敵なものになりますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?