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フランス駐在帯同、波乱の幕開け。

悔しい。悔しい。もっとフランス語を話せるようになりたい。


2023年の7月7日を迎えようとしているパリ。この瞬間のことを忘れないために、急いでキーボードを叩くことにした。

私は、夫の駐在帯同でパリに入り、最近仮住まいから脱出して、本住まいのアパルトマンに入居した。

このアパルトマンというのがまた難しくて、パリのアパルトマンは日本のように整備が行き届いていない。古いものを大事にするがゆえ、私たちのオッッッシャレな家具付きアパルトマンも、入居からわずか3日で多くのトラブルに見舞われ、入居から10日が経とうとしている今、ようやく修理の手配が整ったのだ。
※修理が始まるまでにも数多の困難があった……。

なんとかこぎつけた大きな修理が3箇所目に差し掛かるときだ。
業者が突然「ここを修理してほしいなら、お前がこの修理費を現金で支払うんだ」と言ってきた。

意味が分からない。いや、言ってることはわかるんだけど。理解が。

私は一応大学で仏文学を専攻した身で、フランスに1年交換留学もしている。フランス語がペラペラということではないが、1年間無事にサバイブするだけのフランス語力はある……はずだ。

私の理解が追い付かずポカンとしている間に、業者が詰めてくる。

不動産会社は、ここを壊していないと言っている(それは知ってるよ。整備不良って知ってる?????)
お前がこれを壊したのか?(いや2~3回しか触ってないし優しく触ったし初期不良だよね)
明日は何で支払うんだ?(いや払うなら現金だけどそもそも私支払う必要ないよなあ)

詰められている間、心が無になってしまい、理解が追い付かなかったとき。
業者が二人で、顔を見合わせて肩をすくめた。
彼らの口は何も語らないが、その心理は明白だ。

「この外国人、なんもわかってねえな」

あの瞬間の冷めた雰囲気。失望感。無力感。

体温が失われていくのを感じた。

もし、日本語と同じくらい速くフランス語を理解できれば。
もし、日本語と同じようにフランス語を読めれば。
もし、私が自信を持って「いやこれはエタデリューから3日後に普通に紐を引っ張ってたら紐が突然ぶっ壊れたんですよ、エタデリューから10日以内の申し立てだから私たちは悪くねえよ!!!!!いいから黙って修理してください!!!!!!」と言えていたら。

今、デスクに座っていると、いろんな「もし」が出てくるけど、それはすべて仮定、幻想、勝手な希望。

交換留学のときは、「フランス語はじめて2年なのにそんなに話せてすごいね~!!!」と褒められていたが、もうそんな言い訳は立たないほどの時間が過ぎ去り、私は大人になってしまった。
大学卒業後、フルタイムで働いている間にさび付いてしまったフランス語。
フランス語を始めて、もう10年だ。

いつかフランスに戻りたいとぼんやり思っていたけれど、現実は甘くなかった。

そこで、自分の気持ちを広く公開して残したいと思った。
3年後、5年後の自分に向けて。
おこがましいかもしれないが、同じ立場で頑張っている人や、未来にこの文章を必要としている人にも向け、140字の短歌でもなく、写真日記でもなく、文章で。

正直、この数週間はアイデンティティが失われていってつらかった。
「駐在妻、いいですね!」「うらやましい」「専業主婦になるの?」

もうそんな言葉は聞き飽きた。というか正直、1度でも聞きたくなかった。
夫の給料にすがって生きて、一人じゃ何もできなくて、家にこもっているだけでも許される。子なし駐在妻、孤独感が半端ではない。
大変でも、働いてお金を稼いだり、外に出ていたほうが私にとっては幸せだ。
正直、働いているときは「こんな会社辞めてやる!!!!」と1万回くらい思って、転職活動もしていたけれど、辞めてから労働のありがたみを思い知っている。この気持ちを知ることができたのは、今後の人生で役に立つだろう。労働してお金がもらえるってすごい!!

というわけで、もう3~5年の間の目標を、インターネットの海に向けて認めようと思う。

フランスの大学院に編入する!!!

この大きな目標について語る前に、身も蓋もない昔話を認めたい。
私は大学一年生の頃、さまざまな大学の女子が集まる女子寮に入れられていた。
そのとき、寮母さんが(言い方がアレで申し訳ないが)偏差値が20~30ほど違う大学の子の勉強を見てほしいとお願いしてきた。
勉強の中身は忘れてしまったのだが、とても衝撃的だった。
そして、ロビーの少し使い古されたソファーで、一人深く腰掛けながら、18歳の私はこんなことに思い至ったのだ。

「え、もし学士卒だったら、この子と学位的にはおんなじってこと!?」

いやはや、なかなかひどい言いぐさだ。しかし、思ってしまったことは仕方ない。

こんなことを大学時代ずっと思いながらフランス交換留学を勝ち取ったとき、大学院進学が当たり前のフランスの空気に飲まれてそのまま進学したいと思ったのだけど、これ以上親に迷惑はかけられず、また、一度働いてみたい業界があったことから就職はした。

本当は、3年くらい働いてお金が貯まったら、ワーホリでフランスに再上陸しようと思ってたのがコロナ禍で潰れる。コロナが明けそうになるも、年齢的にワーホリはもう厳しいかというときに、まさかの恋人フランス赴任が決まる。これは着いていくしかないと結婚して意気揚々と来たものの、アイデンティティクライシスで「自分の存在意義とは~!?」と思春期みたいなことに悩んで普通に病みそうになっていたときに、この仕打ちである。


ありがとう修理工のムッシュ、私に感情を取り戻させてくれて。
私は昔から「この授業は難しいから、いい評価はほとんど出さないよ~
」と言っている授業ほど燃えるタイプの人間であったことを忘れていた。

やっぱり、勉強を続けたい。
就職したからこそ見えたこともたくさんある。
この年齢、この経験だからこそ、できる勉強をしたい。

大学時代に、やり残した勉強がある。
就業中に、もっと考えたいと思ったテーマがある。
どれにしよう、未来は未知数。でも、始めるのに遅すぎるなんてことはないはずだ。

このビザでは、正規就労が禁じられている。勉強に打ち込むには、もってこいの状況じゃないか?年齢的にも、進学を決めたとしても、まだいろいろとぎりぎり大丈夫。

それなら、18歳のあの頃思ったことに今こそ答えを出すときだ。

というわけで、このnoteに思いを吐き出しながら、大学院進学に向けて邁進します。
未来の自分がこのnoteを見て、笑える日が来ますように。



きみが残りの人生をどこで過そうとも パリはきみについてまわる。 なぜならパリは移動祝祭日だからだ。

「移動祝祭日」アーネスト・ヘミングウェイ


私の2度目の移動祝祭日。それは今日から始まる。


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