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毎日人種差別だらけよ【アメリカ留学】

こんにちは。アメリカに高校留学中のYuzuです。

最初に謝っておく。タイトル詐欺だと言われるようなタイトルにして申し訳ない。でもあながち間違っているわけではないからこんな強烈なタイトルにしてみた。どうか最後まで読んでほしい。

ありがたいことに、ほぼ一年ここに滞在して、人種を理由に暴力や暴言、行動の制限など、痛烈に人種差別を感じたことはまだない。きっと私の小さくて優しい街では、これからもそんなこと起らないと思う。
アメリカの人種差別は、アメリカという国ができた頃にまで遡る長い歴史を持つ。いや国ができる前からかな。人種差別についてはなんとなく知っていたつもりだったけど、単民族国家の島国に住んでいると、なかなか人種差別とかいうものがピンと来ていなかったということに気づいた。

しかし10ヶ月間の中で、毎日のほんの小さな違和感の積み重ねが、この国で間違いなく人種差別があったこと、そして今もそれは、人々の心に、他人を傷つける形ではないにせよ間違いなく存在しているということを実感させた。

無視できない人種への意識

最初に感じた違和感

私がいちばん最初に違和感を感じたのは9月、沢山の人と初めて出会った時期。
会話を楽しくしようとして、「どこから来たか当ててみて」と聞くと、誰も答えたがらないのだ。答えたがらないどころか、そんなことは非常識だと言わんばかりに、「そんなことはしないよ。」「意地悪になりたくないからさ。」って言う。
え?どこが意地悪なの?私は理解できなかった。
でもこの国ではそれが常識みたいだ。

今ならどうしてか分かる。アジアンはみんな中国人と思うことが、アジアン差別のテンプレートだから。
うーん、会話を盛り上げられると思ったのになあ…。

アジアンは犬を食べるって話

次に感じたのは、もうだいぶみんなと打ち解けて、お互い気を使わずに言いたいことが言えるようになったとき。
ある女の子が、「あなたたちって犬を食べるの?」って聞いた時、「That's racist!(人種差別だ!)」の嵐。
そのときはアジアンは犬を食べるという偏見が、典型的な差別ということはなんとなく知っていたから、彼女が責められた理由も分かったけど、それでも私はこんなにも非難を受けることに違和感を感じた。聞いた子は日本が島国だってことも知らなかったような、いわゆるおばかちゃんで、もちろんこの質問も差別しようとしたんじゃなくて、本当に知らなかっただけだってことは私は分かってたし。

その他の場面でも、「アジアンは犬を食べる」って言葉は、fワードよりも禁止されているような雰囲気だった。彼らはまるで犬を食べるなんて酷い行為は白人が作り出した差別的な偏見だと言わんばかりで。
だって犬を食べることは、本当に誰かの文化かもしれない。もしそれが私の文化だったら?無意識に差別を行っているのは彼らの方じゃないか?

とりあえずここまでで私が感じたのは、みんなすごく、人種差別してしまうことを嫌がっているということ。すごく人種を意識しているということ。

タブー化について

人種の話をタブー化する常識人

そして私は、ちょっとこの雰囲気に乗っかってしまった。あんま言っちゃいけないことで冗談を言うのって、めちゃくちゃ楽しい(自虐は絶対しないよ)。
そうやって私が人種にオープンになると、みんなも自分の人種のことを話し始める。面白いのが、白人は白人でも全然ルーツが違うってこと。遠い先祖がドイツやらフランスやらイギリスやらその他色々だったり、ほんの2世代前がアイルランドだったり、メキシコだったり。日本人はほぼみんな100%日本人だよって言うと、みんな驚く。コンプラギリギリの冗談もだけど、私はそうやって多様性を感じる瞬間が大好きだった。

でもやっぱり全員が楽しめるわけじゃない。こっちの会話ですごく面白かったことを他の人に話すと、若干引かれたり。「そんなこと言ったらだめだよ。」って言われたり。特に上級生とか常識人ほど、人種ネタに乗っからない。時にはなぜ駄目なのか分からないものまであって、それこそ違和感を感じるほどだった。
彼らの中では、人種の話をすること、私をアジアンと呼ぶこと自体がタブー化されているのだ。

タブー化は悪いこと?

タブー化については、賛否両論あるかもしれない。触れないと言う行為は、無意識にその人を傷つけてしまうことを避ける絶対的な方法だ。
でも私はタブー化は一定数の人々の差別心を促進してしまう可能性もあると考える。

例えば、言っちゃいけないことを冗談にするのは、全員に受けるわけではなくても、間違いなく面白い。それを証拠にコンプラを無視した発言をするYouTuberは、今日一定数の登録者を誇る。狙った視聴者層のみにコンテンツを届けやすいネットのおかげで、そういった行為はこの時代顕著になっている気がする。
そしてそれは人種差別においても同じだ。アメリカに来てアメリカのネットカルチャーに足を踏み入れ見えたのは、人種差別的なコンテンツ、コメント欄に飛び交うおびただしい数の差別ワード。私が日常で感じる少しの違和感などではなく、明白な悪意。

私たちが人種にオープンになればこれらの差別がなくなるとは言えない。でも人々は現実でタブー化されているからこそ、ネット上で発言して沢山のいいねをもらっているのは事実だと思う。

それに私はそもそもタブー化されていることに不快感を感じる。私が本当に嫌だったのは、常識人たちに、人種的少数派は守らないといけない存在のように扱われたときだったから。

私をアジアンと呼ぶことをタブーにして欲しくない。
私は自分の人種を誇りに思いたいから。


高校という環境で

私は高校という環境で、高校生としてここに来れたことはとてもラッキーだと思う。アメリカの高校は、日本でいう中学2年生から、高校3年生までが所属している。
最高学年の12年生がほぼ大人であるのに対して、一番若い9年生はまだ世界への固定概念が出来上がっていない。世界に対して素直だ。だから彼らは、上級生のように罪意識を感じることなく、私と人種について話すことができるんじゃないかな。
9割以上が白人の学校に通う彼らに、固定概念が出来上がる前にアジアンとして、日本人として接せたことは自分にとっても彼らにとっても、すごく貴重な体験だと思う。

差別をなくすには

それでもアジアン差別について調べると、アジアンはもっと差別と戦うべきだという声を多く見る。
もしかしたら私は田舎町の高校という、小さな世界の中で平和ボケしているだけかもしれない。私が多様的なアメリカ社会のたった一部しか見たことがないのも理解しているから。
時々中には見下されてると感じるような、不快な冗談を言う人もいる。そういうときは絶対にうやむやにはしない。結局みんな人種差別主義者にはなりたくないから、「That's racist」ってはっきり伝える。

ネットで黒人差別をしている人々は、黒人の友達ががひとりもいないのかなぁと考えたことがある。もしひとりでも大好きな友達がいれば、悪意ある差別をしようとは思わないだろう。私はそんな「アジアンの友達」になりたい。アジアンと聞いたときに、「差別されてきた人たち」というネガティブなイメージではなく、私を思い出して、ポジティブなイメージを持ってほしい。
やっぱり留学生たちって世界中でそれができるすごい人たちだと思う。

すごく難しいよね、人種差別問題って。私も伝え方を間違えると誤解を生むし、そもそも自分はちゃんと考えられているのか分からなくなって、この記事を書くのだいぶ時間かけた。
結局何が正しいか分からなくて、とりあえず人種の違いなんて存在しないかのように振る舞ってしまうのも理解できる。
でもやっぱり人種は無視できないよ。その人の全てのバックグラウンドを作ってるものだから。

みんなが相手と自分の違いを無視しないで、相手に対してポジティブな感情で接しながら世界中の人と繋がっていけば、長い年月はかかると思うけどいつかきっと解決できると私は思う。

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