文章は「書く人」のためにあるのではなく、「読む人」のためにある
「書く」という行為が、「奪う」行為であってはいけません。
何を「奪う」のかというと、
奪われるのは、たいていの場合、「時間」です。
そして、
「時間」を「寿命」に置き換えて考えてみると、
「時間」は、多くの人にとって、
「この世で最も大事なもののひとつ」
ではないでしょうか。
さらに、「寿命」=「命」と考えると、
「なによりも大事なもの」
という人さえいるかもしれません。
そのような貴重で限られた、誰かの「時間」を奪う権利は、本来、誰にもないはずですが、往々にして「時間」は奪われます。
現代社会には、
「時間を奪われること」=「人生」
という公式が、どこかに存在してすらいそうです。
しかも、たいていの場合、それは罪に問われることはなく、
「奪われ損」で終わります。
さらに、
たとえ、どんなに優秀な弁護士を雇ったところで、
それは「奪い返しようがない」のです。
では、「奪う」のではなく、何のために書くのか?
といえば、それは、もちろん、
「与えるため」です。
与えることができるものは、人それぞれ違うと思います。
しかし、文章を書いて、世の中に公開するということは、
それを読んでくれる人に、何かしらの貢献をしなくてはいけません。
つまり、
文章作成は、サービス業なのです。
そして、
文章は「書く人」のためにあるのではなく、「読む人」のためにあるのです。
そんな当たり前のことから学び直しています。
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