現状の幸福度を教えてください

【アンケート】
現状の幸福度を教えてください
【投票数】
40 票
【内訳】
100%…13%
75%…38%
50%…28%
25%…20%
0%…3%
【総評】
以上の結果となりました。
75%程度が一番多いようですね。
「どちらかというと幸せ」ということでしょうか。
【私の場合】
私に関して言えば
アッパーとダウナーの繰り返しなんですが
結局は50%程度でしょうか。
「自由に生きられる喜び」と
「現実世界の窮屈さ」の相殺なバランスはイーブンです。
自分自身で何とかなる問題が多いので
「やる」か「やらないか」な世界のわけです。
私は「他責」よりも「自責」に美学を感じる生きかたですが
「成長」と「自虐」の諸刃の剣でもあり
自分への優しさは命に係わるタスクなわけです。
「共助」「公助」が死語となってしまった時代。
幸せか?と言われたらそうは思えないのが正直なところです。
自分自身も他人に全く関心はないので
自業自得(因果応報)の成れの果てでしょうか。
報いは受け入れて乾いたまま孤独に生きていくだけです。
ゴミ同然の世界で幸せを感じて生きているヒトも多く居ます。
生命の逞しさでもあり、美辞麗句のサバイバルでもあるわけです。
他人が辛くても自分が良ければ幸せを感じてしまうわけです。。
誰でもそんなもんです。
・・・
人生の幸福度なんかは
自己実現のハードルをどこに設定するか?なわけですが
私なんかはわりかし
凡人には届かない(関心が無い)ところに自己実現を設定しており
幸福度も低迷しがちです。
SNSで他人の生活(芝生)が青く見える、ということでもなく
「どれだけ私の中の世界で完結できるか?」が
私の閉じた幸福度のパラメータなわけです。
そこに他人は誰も居ません。
結局は「生きているだけで地獄」な世界観なわけですが
生きていないとゲームが終わってしまうので
地獄の中でせこせこ安全地帯を探して壁を作ってやっているわけです。
笑いの沸点が低いヒトが居ますが
幸福度のハードルが低いヒトも居ます。
「足るを知る」、「無知の知」、「心臓に毛が生えた鈍感力」
人間なんかは知恵・知能を手にすると
自己能力とのギャップに苛まれて自爆するわけです。
キャパが無尽蔵のバケモノも居ますが
私はその類ではなく ちっちゃな器でやっております。
だからリソースの加減が難しいわけです。
とにかく寝ていたい。
常に寝てデフラグしないととっ散らかる情緒。
私の幸福度は
「寝ている時間」に比例します。
だから無職の時のわたしはとても幸福度が高いわけです。
もうすぐ私は無職に返り咲きます。
世間で言われる「負け癖」なわけですが
私は「ホイミ」みたいな感覚で気軽に退社します。
このフットワークの軽さ(責任感の無さ)は
私の強みであり、ヒトから受け入れられないところです。
・・・
【あとがき】
幸福度が低い人間というのは
「時代に合わない」人間なわけで、
同じ人間でも
生まれる時代(環境)が違ったら幸せに生きたりもするわけです。
昔は「人類皆兄弟」みたいな綺麗ごとが根底にありましたが
ネットの普及で身も蓋もない論破がマス層(底辺)にウケ、
20年くらい前に
「勝ち組」「負け組」みたいなゴミワードが生まれました。
10年くらい前に
「親ガチャ」なる言葉も生まれたわけです。
根底で何が起こっているのか?というと
「洗脳(搾取)する側」による「弱者の骨抜き」だったりするわけです。
言語化でヒエラルキーをカテゴライズすることで
上級国民が正義(憧れ)だと認識するクローンを量産していきます。
弾かれた弱者の個性は時代に淘汰されていきます。
「他人よりも、自分が幸せならそれでいい。」
そんな感じの世界観。
「損得勘定で私に利をもたらすなら、キミも助けてあげるよ。」
そんな感じの世界観。
「困窮してる(振りをしてる)ヒトを純粋に助けたら痛い目見る」
そんな感じの世界観。
「本当に困窮してるヒトを馬鹿にしたら気分が晴れる」
そんな感じの世界観。
「嘘」を「真実」に昇華(美化)する詐欺師が時代の強者なわけです。
そんな中、
インデックスファンドを発明したジョン・ボーグル氏のように
他人を「救う」救世主みたいなヒトがたまに現れます。
私にとっては
グーグルのラリー・ペイジみたいなのはゴミクズ人間だと思いますが
グーグルに人生を救われたヒトも多いかと思うので
救世主の定義もまた、ヒト其々なわけです。
結局、
幸せの定義もヒト其々。
誰しもが幸福を感じるなど「絶対にありえない」わけです。
投資も他人様の不幸のおかげで自分が幸せになることが出来るわけです。
まともな人間にはなぜか「憂い」の感情があり
それは時として自分自身を奈落の底に突き落とす罠にも成り得るわけです。
その悲喜こもごもに「儚い美しさ」などがあり
美意識を刺激して「生きる糧」にもなるわけです。
人間は適度な不幸が生命(種)の存続に繋がったりします。
総ての人間が幸せな世界も見てみたいですが
そんな世界は何も起こらずにすぐに消滅してしまうでしょう。
不幸な人間が居るから、人類はやってこれてるわけです。
幸せが正義、不幸は悪、とか
そういうお話ではないような気はします。
細胞が各々 考え事をしながら生きてる共同生命体、みたいなものでしょうか。
「幸、不幸」とは違うところの概念に「本質」があるような気がします。
・・・
ぽてちん

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?