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「みんな誰かの愛しいひと」だから。自己紹介しながらいつも考えていること。

ある程度の立場になり、新入社員の方や、中途入社された方のために、自部門の紹介や業務の説明をしたりする機会が増えてきた。

いつも冒頭3分はアイスブレイクも兼ねてまず自分の自己紹介から始めることにしている。

そんな自己紹介のスライドで、私が欠かさない要素がある。
それは、必ず家族写真をいれる、ということだ。

社内で他の同僚の自己紹介を聞く機会もあるが、ほとんどの場合自分だけが写っている写真をいれるか、あるいは家族の顔がみえそうで見えないギリギリのところで切られている写真が多い。

多分それで自己紹介としては事足りるのだと思う。
私の自己紹介を聞いて、「なぜわざわざ家族の顔をさらすの?」と思っている人もいると思う。

でもやっぱり私は、家族写真が必要だと感じてしまう。
それは、「私は私だけで成り立っていない」という思いが根底にあるからだ。

職場における私は、ある部署である仕事を担っている「りー」でしかない。
肩書はマネージャー、部下が何人かいる。ただそれだけだ。

でも、実際問題私は人として多面的な役割がある。
社会人であり、上司であり、部下であり、妻であり、母であり、友人であり、娘であり、孫である。

その役割と関係性の中で形作られている一人の人間なのだということを知っておいてほしい。
そして、これは伝わっているか分からないが、相手へのメッセージでもある。

私がそうであるように、あなたも「誰かの愛しい人」。


”みんな誰かの愛しいひと”

このフレーズを知ったのがいつのことなのかもう思い出せない。
もう長らく記憶に残っている気がする。何かの本だったろうか。ずっと若い学生の時から、この言葉は時々私の中に浮かんでくる。

満員電車でカバンをわざとぶつけてきたおじさん。
スーパーのレジ待ちの列に割り込んできたおばちゃん。
愛想のない店員さん。
無理難題ばかり吹っ掛けてくる上司。

みんな、それでも、誰かの愛しい人。

その人の幸せを祈り、願い、笑顔を望む人がこの世界に必ずいると思うと、誰一人として無下にできない気持ちになる。

働いていれば、同僚にムッとしたり、この分からず屋ぁぁぁ!と叫んで張り倒したくなることも多々ある。
でもそんなときいつも思う。

あー、この人は今日帰宅して奥さんにどんな話をするだろう。
今日はいい仕事ができたよ、と笑顔を向けるだろうか。
その笑顔を向けられた奥さんの一日は、例えそれまで何かつらいことがあったとしても、一瞬で華やぐだろうか。
そしてその連鎖は、夫婦を超えてさらに広がっていくだろうか。

そんなことまで考えられていると知ったら私の周囲の人たちはおせっかいだと怒るかもしれない。気持ち悪がるひともいるかもしれない。

でも、それでもやっぱり、誰かを見るとき、そこに立っているその人ひとりにしか目を向けないのはとても失礼だと、思ってしまうのだ。

私を私として成り立たせているのは、日々接する家族・友人・仕事仲間との関係性だ。私の周りにいる全員がそれぞれの関係性を持っている。
それもひっくるめて「その人」と接したい。
そんな気持ちで毎日過ごしている。

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