突然感じた「無力感」。すべてが「コントロール不可」な世界にみえた日。
自分の未熟な部分をさらけだすことになり恥ずかしいのだが、それもまた私…ということで、先週末に私自身に起きたことをここに晒そうと思う。
簡単に言うと、感情がまったく制御できなくなり、イライラを止められなくなった。そして息子のことも怒鳴ってしまったのだった。
正直、イライラすることは日常的にある。
息子を叱ることもある。でもいつもは叱る、であって、怒鳴る、ではない。
その日の私は、どこかふわふわしていて、自分が自分じゃないみたいで、それでいて妙に「やるべき事」に対しては冷静で厳しい目でみていた。
夫や息子と穏やかな土日を積極的に過ごしてさえいれば、その和やかな雰囲気の中で私の苛立ちや妙なせわしなさも解消されるだろう、と甘く考えていたのだ。
実際にはそんなことにはならず、夫が私の二の腕をいつものようにむにむにと触っただけで異様に腹が立った。息子が電動ママチャリからなかなか降りないだけで大声で怒鳴った。周りにいる誰とも目を合わせたくないし、今すぐ泣き崩れたいほど悲しくて寂しいのに、誰ともしゃべりたくなかった。
そんな私が家族の休日に良い影響をもたらせるわけはなく、すぐに夫に問いただされた。一体なにが起きているのか。何か自分にできることはないのか。
とても優しいと思う。
でも、その問いに答えられるほど私の心は落ち着いていないし、その問いの答えも持ち合わせていない。私の方が教えてほしかった。聞かれても、泣くしかできなかった。
このままじゃだめだと思い、リビングで夫と息子がお昼ごはんを食べている間、寝室に自己隔離した。
冷房もいれていない蒸し暑い部屋でぼーっとしていたら、ぼろぼろ涙が流れてきた。汗と混じって顔がびちゃびちゃだ。
そのうち声を振り絞りながら、子どものようにわんわん泣いた。泣いてスッキリしたいという意図も何もなく、ただ本当に、子どもに戻ったみたいだった。
泣きつかれてベッドに横になってしばらくじっとしていたら、少し自分の思いが見えてきた。それは「無力感」だった。自分が自分で管理できていない感じ。つまり、「自己コントロールができていない」という感覚だ。
その時はあまりにいっぱいいっぱい過ぎて具体例を思い浮かべることができなかったが、仕事であれ、子育てであれ、夫婦関係であれ、時間の使い方であれ、恐らく「決められたこと」や「そのようにやるしかないこと」の積み重ねがあったのではないかと思う。
ただそれらの積み上げられたタスクをこなすだけの日々。そしてその中にあったであろう「抵抗できない」「抵抗するべきではない」という気持ち。
そういうものの積み重ねが、あの時私のなかで爆発したんだと思う。
かの有名なスティーブン・コヴィーの「7つの習慣」にも、”影響の輪”に集中して主体性を発揮しよう、と書いてある。(私は7つの習慣の実践者だ)
頭ではわかっているし、いつもそのように振舞っていると思っていたのに、なぜこうなってしまったんだろう。
結局のところ、その答えはよくわからなかった。
それはこの暑すぎる気候かもしれないし、季節の変わり目で情緒不安定だったのかもしれないし、単純にここのところ睡眠不足だったからかもしれない。
思い返せば前日の夜、寝る直前に眩暈があり、世界がぐわぁーんと崩れるような体験をした。むかし突発性難聴になったとき以来だ。
あとから振り返ると、もうその時点で精神的にも結構限界だったのかもしれない。
答えは考えたって分からないけど、何を変えるべきかはわかる。
簡単なことからでいい、小さい事からでいいから、自分が自分で意思をもって行うアクションを増やすことにした。
部屋のこの限られた部分を片付ける。
”私が”鶏肉を食べたいから、鶏料理を作る。
今は眠たいので、とにかく必要なだけ眠る。
大人が主体性をもつなんて当たり前のことのように思えるが、家族や会社のおおきなうねりの中でそれが困難になってしまう時期やタイミングってあると思う。
同じようなことが起きたら、ふわふわした、自分じゃないみたいな自分を、地面にくっつける地味で地道な作業を、今回みたいにやっていきたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?