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子どもに「『がんばって』って、言って欲しい」と言われて考えたこと

純粋に応援するときに使っていた
「がんばって」
を、自分がいつから言わなくなったのか、よく覚えていない。

がんばる ⇒ 我を張る ⇒ 周りを押しのけて自分を押し通す  とか、
ギリギリまで、がんばっている人に、追い打ちかける  とか、
耳にしたり、文字として読むようになり、
無理を押しつける言葉として相手が重荷と捉えるようになった
「がんばって」は、使わない方がいい。
使わないようにしようと、いつのころからか決めて注意してきた。

だから、一生懸命の子どもを応援するときも、
子どもに一生懸命になって欲しいとき、努力して欲しいときも、
「がんばって」
ではない別の言葉を一生懸命探して声をかけてきた。

先日、習い事の関係で学童を早退する必要があり、
指導員の先生に伝え、子どもにも言い聞かせておいたものの、
子どもは指導員の先生の声かけに応じず、早退しなかった。

子どもは学童が大好き。
迎えに行っても、なかなか帰ろうとしないし、
早退するように手配しても帰ってこないことが多い。

いままでは大好きだから仕方がない、と思ってきたけれど、
本人が早退して習い事に行くと決めたことでもあるし、
時期的に声をかけられたら気持ちを切り替えるが身につけないと、
本人が困ると考えを改め、仕方がないでは済まさないことにした。

「帰れなくて、ごめんなさい」
と、自分を見るなり謝ってきた子どもに聞いてみた。
「どうしたら、気持ちを切り替えられるかな?」

子どもは、そんなことを聞かれると思わなかったという顔をして、
「うーーん」「わかんない」と、つぶやいていたが、
ふと思いついたように自分を見つめて言った。
「『がんばって』って、言って欲しい。
 そうしたら、気持ちが切り替わると思う。」

いままで「がんばって」を抑えていたのは、なんだったんだろう。
言葉に詰まった。

「・・・『がんばって』、なの?」
「うん。応援してくれたら、がんばれると思う。」
「先生に『がんばって、って言ってください』ってお願いするの?」
「うん。お願い。」
「わかった。」

子どもにとって応援が必要なときにかけて欲しい言葉が、
「がんばって」
だったとは・・・。
相手がどう受け止めるのかが問題ではあるけれど、
本人にもっと早く聞いておけば良かった。

でも、自分の中に染みこませた考えは、
なかなか切り替えられそうにないなぁ・・・
そんな風に思っていたけれど、ふっと、

我を張る

じゃなくて、

我を晴

自分を晴れやかにする

って、考えたら?と思いついた。

努力したい子どもを応援する・背中を押す「がんばれ」なら、
自分は100%前向きに声をかけられる。
だから、がんばれは、我を張るではなく、
我を晴、前向きの言葉として、子どもにかけよう。
自然とそう思えた。

指導員の先生に『がんばって、って言ってください』とお願いし、
登校前の子どもに自分からも「がんばってね」と声をかけた日、
子どもはちゃんと早退して習い事に行くことができた。

「先生ね、がんばってって、言ってくれなかったんだよ」
ちょっと不満そうに子どもは言った。
指導員の先生によると、「時間だよ」と声をかけたところで
子どもは気持ちを切り替えられた、とのこと。
「でも、『時間だよ』で気持ちが切り換えられたんだから
 えらいんだよ。がんばったね。」
と、たくさん頭をなでると、子どもは嬉しそうに笑った。

<感謝の気持ち>
まき子🍙子むすび屋さん@毎日投稿211日目  様、ふんわり温かくなるイラストありがとうございます。
がむしゃらな頑張れ、ではなく、こういう雰囲気で子どもが頑張れるように応援していきたいなと思い、使用させていただくことにしました。

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