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食べることができたら合格!子どもの食事に楽しさは求めなくていい

「食事を楽しく」とは、食事が楽しくない現実の裏返しだと思う。
子どもとの食事は楽しくなければ、楽しくしなければ、
と、思い悩む人には、そう思わなくていいよ、と、言いたい。

生きるために必要な栄養を、ミルクや母乳ではなく、
食物から摂取するのが食事の目的だから、
子どもが必要な栄養をとれたら、それで充分だと思う。

離乳食は、まず、作るところからして気を遣う。
月齢や歯の成長を考え、食材や堅さや細かさを調整して調理する。
その間、子どもが静かにしているわけもない。
子どもの行動に注意しながら作り、
テーブルに並べ、子どもを座らせる。
初めての食べ物を口に入れる時は、アレルギー反応に怯えながら、
子どもと時計をかわるがわる見つめて時の経過をまつ。

無事に食べ終わったと安堵した途端、眼に入るのは、
自分が格闘した痕跡と子どもの食べ散らかした後であり、
それらを片付けるのは、自分である。

嫌いな物があれば、子どもは一気に不機嫌になり、
「食べない!」
と言って、食卓から逃げ出したり、食べ物を放り投げたりする。

自分でスプーンや箸が持てるようになるまでも大変だし、
持てたら持てたで、こぼさず食べられるようになるまで、
また苦労が待っている。

こぼさずに食べられるようになっても、テレビを見たり、
本をみたり、ながら食べをするようになったりする。

楽しくしようと話題を持ち出してみれば、興味がそっちに向き、
話しが止まらなくなったり、席を離れて地図や本を取りに行ったり、
食べるどころではなくなってしまうこともある。

これが毎日続くわけで、楽しいと思える人は、真のポジティブ思考の人だと思う。

もちろん、
「これ、おいしいね!」
と、子どもが笑顔で言ってくれるのは、嬉しいし励みになる。
いつのまにか、嫌いな物が食べられるようになっていたり、
料理や片付けを手伝ってくれたりして成長を感じることもある。

でも、毎日、おいしい!が聞けるわけではなく、
お手伝いをしてもらえるわけでもなく、
好きだった食べ物が嫌いになってしまっていることもある。

食育のために楽しくしなければ!と気負っても、
作った労力に見合う楽しい食事になることは、ほとんどない。
毎回、楽しい食事にならなかったと落胆し、徒労感に包まれながら、
子どもとの食事を楽しくできない、と思い悩むのではなく、
生きるのに必要な栄養を摂取したら、もうそこで合格!
パパもママも、子どもも、みんな、よくがんばりました!
と、思った方が、食事に対して気楽に取り組めると思う。

<感謝の気持ち>
写真は呼吸 <こさいたろ>  様、かわいらしい離乳食の写真、ありがとうございます。
初めて作った離乳食を思いだし使用させていただくことにしました。

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