中国とロシア 蜜月?相互不信?

中露関係を整理整頓する
 
ウクライナ戦争以後、中国とロシアの関係がより強固になっているように見えます。中国とロシアの関係もまた国際情勢を左右する重要なニュースです。この両国は日本とも領土問題を抱えています。確かに両国は、反米と反介入主義という一致した行動指針で中ロ関係は2010年代から一貫して蜜月に見えます。しかし、両国関係の推移をみると複雑な様子も見えます。中国とロシアの関係を大まかに分けると以下のようになります。

① 友好と同盟の1950年代
② 相互不信、 不和、 イ デオロギー対立の50年代末から60年代半ば
③「敵国」 同士として全面的に対立した60年代 末から70年代
④ 国家間・共産党間の関係正常化を模索した80年代
⑤ 双方が、 善隣・友 好関係をうち立てようとした90年代

 それでは、ここで1990年代の出来事から見てみましょう。この時期にソ連が崩壊します。それらの混乱で1991~92年の中露関係はしばらく空白で不透明でした。しかし、事態が落ち着き92年の12月にエリツィンを公式に北京へ招聘しました。93年には中露軍事協力協定94年の「建設的パートナーシップ」合意、この年には同時に相互不可侵の合意が結ばれ、お互いに相手を核攻撃の標的にしないことと相手への核兵器先制不使用にも合意できました。同年、江沢民がモスクワを訪問し、それを機に両国の首脳や大統領による首脳会談が毎年行われるようになりました。90年代はこうした交流を通じて様々な二国間協定を結んでいきました。1996年には中国初の「包括的戦略的パートナーシップ」も結ばれ、中央アジアに関する「安定地帯」確立にも合意し、これがやがて「上海協力機構」へと発展します。そして2001年、これらの歩みの到達点として中ロ善隣友好協力条約が締結されたのです。これは同盟条約ではありませんが、同盟条約に準じる特徴があります。長年の懸案であった国境問題についても、2005年6月と2008年7月に交渉を重ねたのち4300キロに及ぶ国境を正式に確定します。

経済と軍事の歩み
 
両国の貿易関係は、1990年代の大半を通じてわずか50億ドルでしかありませんでしたが、2011年には835億ドルになるまで成長しました。同じ年に中国は、ロシアの最大貿易相手国としてドイツを抜いて1位になりました。2012年6月ウラジーミル・プーチン大統領が中国を公式訪問した際、両国は2015年までに二国間貿易の目標額を※1000億ドルに設定、2020年までには2000億ドルにすることで合意します。軍事上の繋がりや防衛協力も中露関係の主要な要素であり続けました。天安門事件をきっかけに、欧米諸国から武器や防衛技術を得られなくなったとき、中国を助けたのはロシアでした。ロシアもロシア側で自国の兵器産業を生き延びを目的に市場を探していました。1990年代から2000年代にかけてロシア政府は一貫して、中国に様々な最新兵器や軍事技術を提供し続けました。ロシアの対中武器供給が最も盛んだった時期に、中国への売り上げは世界全体への売り上げの40%に相当し、毎年約30億ドル、1991年から2005年には総計160億ドルに達しました。

一般民衆の感情
中国の一般民衆のロシアに対する感情は概ね良好です。ある世代にとって、やはりロシアやソ連は憧れの存在です。中国の近現代史を描くドラマでは、ソ連からやってきた技師との恋愛模様が描かれるモノがあったりします。実をいうと文化大革命で走資派として失脚した劉少奇の孫もロシア人と中国人のハーフです。また、中国国内には少数民族の一つとしてロシア族が存在します。ある調査では7割以上の人民がロシアを支持し、プーチン大統領に対しても良い感情を持っているようです。


参考資料

ピューリサーチで行われたロシアに対する世界の態度2013と2014年。それを元に中国メディアが作成したインフォグラフィック。

劉少奇の中国とロシアハーフの孫に関する記事



デイビット・シャンボー著『中国 グローバル化の深層 「未完の大国」が世界を変える』P111~120

島村智子著『上海協力機構(SCO) 創設の経緯と課題』
http://www.ndl.go.jp/jp/diet/publication/refer/200612_671/067104.pdf


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