中国外交の作られ方③天朝・インターナショナリズム・リアリズム

 「中国外交は米ソ問題に対応するために発展してきました。そこに中国伝統の天朝概念や、共産党のシステムが加わり色々と問題を起こします。ベトナムとラオスを一つの国と誤解していたのはその典型例。」という話をしてきました。

 今回は戦後の中国外交が天朝概念をベースにしながら米ソ問題に対応した例として中国と北朝鮮の関係を見たいと思います。戦後中朝関係の変遷は、天朝とインターナショナリズムとリアリズムが中国でどのように交叉し、生
成されたかを見る適切なケースと言えます。

https://www.youtube.com/watch?v=efNwRVB0-IM&t=1596s

※2017年に日本で開催された沈先生の講演会から一部内容を抜萃します。なお、中国語のスキルを試したいかたは、二つ目の同時通訳がない中国語でチャレンジしてみてください

 この講演会冒頭でこんなエピソードが披露されています。

 2000年、金正日が中国に訪問し江沢民を前にこのように言いました。
「中国の東北地方を視察したい、アテンドしてくれないか?」それを聞いた江沢民は不思議に思います。なぜなら、中国語における視察は、国内で上の幹部が下の位の者に対して仕事をチェックする。という意味だからです。そこですかさず「あなたのそれは訪問ですよ」と指摘しますが、金正日は「否!視察を希望する!」いいます。さらに、金正日は「中国東北地方すべては我々のものである!」と言いました。江沢民は「なぜ、中国東北すべてを北朝鮮に渡さなくてはならないのか!?」と反論しますが、金正日は「これは毛沢東とわが父金日成との約束である!」と答えます。
 実際、毛沢東は金日成と少なくとも5回はこのような内容の事を話したと言います。さらに、金日成を中国東北地方に招き、その後、金日成は北朝鮮で「中国東北地方幹部指導者養成班」を開きます。つまり、将来的に北朝鮮が中国東北地方を治める準備をしていたという事です。中国を中心に親密な関係がる国の権威を認め統治権を認める。これは伝統的な天朝概念の現れであると指摘します。その後、中国も時代が進み指導部の世代交代によって天朝概念が薄くなります。この問題は領土に関わるセンシティブな問題なので、中国はなんとか触れずにあやふやにしようとしました。

 毛沢東から鄧小平に指導体制が移るにしたがって、中国の北朝鮮に対する関わりも変化します。毛沢東時代は北朝鮮に対してインターナショナリズムに基づくプロレタリアートの紐帯という考えをもとに無償の支援を行います。しかし、鄧小平時代になり北朝鮮ともビジネスをしようとします。毛沢東時代に北朝鮮に送られた戦闘機を北朝鮮が中国に修理を依頼しますが、中国側が北朝鮮に費用を要求します。それに対して、北朝鮮は「毛沢東が送った飛行機だぞ!それに金を要求するとはそれでも兄弟か!」と怒ります。
 毛沢東時代から鄧小平にかけてもう一つ、重要なアクターは対ソ関係です。中国はソ連を最大の脅威としてとらえアメリカと関係を回復させようと動きます。それに対して北朝鮮はアメリカを最大の脅威としてソ連と関係を維持しようとします。
 天朝概念からインターナショナリズム、そしてリアリズムへ。中国外交はそのシステム変化の過渡期に発生した、”バグ”に苦しめられていると言えそうです。
 


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