中国外交の作られ方②ーベトナムとラオスの違いが分からなかった中国


 この記事で、戦後の中国外交外交が米ソ二大覇権国に対応するために、国際関係学が形成されそれが中国伝統の天朝概念と合わさり、周辺の中小国の存在を軽んじる要因となった事を書きました。今回はより具体的に、なぜ中国はベトナムとラオスを一つの国として勘違いしていたか?迫りたいと思います。

 VTR17分あたりからその内容が語られます。

 中国内戦が終結し、中国共産党が政権を奪取した事によって、いままで外交を担っていた中華民国の外交官が政権から追放されます。それによって、共産党の党員が外交を担う事になりますが、彼らは主権国家どうしの外交を経験した事がない人材でした。中国共産党員が経験していた”外交”は共産党どうしの関係でした。これによって、共産党の管轄している地域が一つの国家という勘違いが生まれます。さらに、当時の外交担当の中国共産党員は元諜報活動に従事していたスパイ語学堪能な人材が中心で構成されていました。
 一方、東南アジア側に視点を移すと第二次世界大戦終結後、ベトナムとやラオスを含む地域はインドシナ共産党が管轄していました。そして、ベトナム共産党はラオス人民革命党を指導していた経緯もあります。
 共産党の管轄が一つの国家、共通言語でコミュニケーションするベトナムとラオスの革命同志、これらが混ざり合って、中国はベトナムとラオスが一つの国であるという勘違いが生まれました。


※ベトナム共産党とラオス共産党の関係については以下の論文を参照。https://iuj.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=734&item_no=1&page_id=13&block_id=26


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