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モラハラを受けても自分を保てていた理由

どんなにモラハラを受けても、ほんの少しですが自分をどうにか保っていました。なぜ保てていたのか?

それは、働いていたから、だと思います。専業主婦ではないこと、社会との接点があること、は私にとっては大きなことでした。仕事は続けられていたので、自分でどうにかできるお金もあります。また、保育園への送迎時の他の保護者の方との交流、現場監督ですが、メンテナンスなどでお客様とお話しする機会もあります。その度に、人と話すことが好きな自分を認識し、様々な情報を得られる喜びを感じていました。それによって、どうにかこうにか自分というものを保てていたのだと思います。

それでも、モラハラによる精神的DVは私の心と体を蝕みます。前回お話ししたように、洗脳状態になってしまうと、相談することすらできなくなる状態へ追い込まれます。

外面の良い人なら特に、です。「旦那がこうで…」と話しても、「そんな風に見えない!」と言われて話を信じてもらえないのではないか?と思われる方もいるのではないでしょうか。どこに相談しても、家庭内の問題、と言われてしまい、もうそれだけで相談する気にすらなりませんよね。

私自身も、親に相談できませんでした。「旦那がこういう人だとわかったら、離婚させられる、それは避けなければ!」と思い込んでいたのです。子供の為もあるかもしれません。娘に弟か、妹かいたらいいな、と思いました。一人親になったら大変かもしれない、とか、馬鹿にされるかもしれない、とか、考えていました。

でも、モラハラを受けてまでも一緒にいる意味はあるのか?そこまでして結婚生活を続ける意味があるのか?、あるとき、ふと気づいたのです。

旦那は保育園の送迎には全く関わりません。私の仕事が繁忙期に入り、自分の現場が休みになっても、自分が飲酒したいから迎えは絶対に行きません。何度か頼みましたが、「もう飲んでるから」と一言でした。バスでの迎えもできません。本人がバスに乗れないからです。送りもしません。こちらは何度か一緒に行きましたが、教室での朝の準備もただ、眺めているだけで、何もしませんでした。他の保護者の方から、異様な目で見られていても気にしません。ですが、後から文句は言います。「〇〇の親御さんは、変だ」とか。

子供が3か月になる前に、感染症で入院したことがありました。私も付き添い入院となるわけですが、その時も文句ばかりでした。洗濯すらしようとせず、退院時期がはっきりしないことに対しても、病院側へ強く言うように言われたり…(でも、自分では言いません)こうなると、想像つきますよね。産前産後も同じことをされました。子供の1か月検診が、連休と重なってしまったため、里帰りが検診迄延長になりました。すると、こう言うのです。

「勝手に1か月検診を延ばしている、病院に行って早めてもらえ!勝手なことをするな!」

1か月検診は、母子の状態を診るためのものです。その事情も理解せず、自分の都合を押し付けてきました。最終的には「お前はいらない、娘だけ帰せ、義母と育てる!」です。この時に離婚していればよかったと、未だに後悔していますが、それは今更なので、これからのことを考えることにします。

里帰りから戻れば、きっとこんなにひどいことは言わないはず…と自分に思い込ませ、実家から戻りました。ですが、結局は上記の通りでした。

旦那のことを知っている人たちと、私は働いていますので、離婚を踏みとどまってしまった原因はここにもあると思います。いわゆる、「周りからの目」です。職人としては腕のいい旦那なので、皆、口をそろえて「いい人と結婚したね!」と言ってくれるのですが…

「職人として、と、人間性は別物だよ?」

と声を大にして申し上げたいところです。

典型的なモラハラですね。外面だけがいい。でも、中身はない…それに気づいている方もいます。そういった方たちが、味方になってくれていることが救いでした。その人たちとの接点を切らずにいられたからこそ、自分を保てていたのです。

だからこそ、絶対に理解者がいることを忘れないでください。一人じゃありません。知っている人でも、知らない人でも、必ず味方になってくれる人がいます。まずは、自分の心の声を聞いてあげてください。

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