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ムード満点な時にそんなこと言わないで/青春物語51

私は驚いて永尾さんの顔を見た。
「えっ、いいけど。彼女に怒られない?」
「桜田さんと踊りたいんだ」
「じゃあ踊ろう、踊ろう」
酔った勢いに任せて彼の手を取った。

次の曲は聴いたことのある曲だった。
彼の挙げた左手を右手でキュッと握り、左手は遠慮がちに腰に回した。
「ねぇ覚えている?」
そう聞いた彼の顔が、紅潮しているのが薄暗いライトの下でもわかった。

「うん、覚えているよ」
「なんの事か、わかってんのか?」
「チークの事でしょ?」
「あれっ、よくわかったな」
「だって今、踊ってるもん。あの時もこうだったなって」
私はケラケラ笑った。

いつだったか、彼の部署の先輩たちと飲みに行った。
そこで初めてチークタイムと言うものに遭遇した。
初めは周りを見ていたが、永尾さんと踊ることになった。
ピッタリ寄り添うのが恥ずかしくてぎこちなかった。

「あの時もケラケラ笑って踊ったよな。俺たち、チークなんてガラじゃなかったから」
「そうそう、すごく恥ずかしかったもん」
「あの時の桜田さん、可愛かった」
「あの時の?あの時だけ?」
「ははは。でもあの後、怒っちゃったんだよね」
「だって永尾さん、お尻触るんだもん」
「えっ?そうだった?」
「そうだよ。で、なんて言ったか覚えてる?」
「忘れた。って言うよりも全く覚えがない」
「桜田さんって今、生理中?って聞いたんだよ!信じられない!」
「ええ〜そんなこと言ったっけ?」
そう言って彼は飛びっきりの笑顔を見せた。

その時、彼のその笑顔を見て胸が高鳴った。
それを見破られまいと私はわざとおどけて言った。

「そうだよ!ムード満点の時に生理中?って聞いたんだよ。耳を疑ったわ!」
「この俺がそんな野蛮なことを言うわけないじゃん。空耳だよ」
そう言って彼は、あははと大声で笑った。

「私、ビックリして違いますって言ったらなんて言ったと思う?なんかお尻が固いからって言ったんだよ。信じられない」
「そんな記憶は一切ございません」
「で、その時思ったんだ。この人は女慣れしてるなって」
「してないって」
そう言って彼はますます笑った。

「普通、ガードルを履いているイコール生理中なんて図式は頭に浮かばないもん」
「浮かんでないって」
「そしたら極め付けにこう言ったんだよ。じゃあホテルに行けるねって!信じられない」
「ああ、それで怒ったのか。あの時、急に席に戻っちゃったから」
彼はそう言って笑い続けた。

「笑いごとじゃないよ。いくら酔っているからって彼女がいるくせにって思ったんだよ」
「俺そんなに酔っていたのかな?」
「酔ってなさそうに見えたから怒れてきたんだよ。それに怖かったのかもしれない」
「なにが?」
「彼女のいる永尾さんを好きになっちゃいそうで」
「なれば良かったのに」
彼はさっきまでと打って変わって静かにそう言った。