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彼にのめり込んでいく自分が怖かったのかもしれない/青春物語35

大川ちゃんの手元を見ながら、あの日のことを思い出していた。

週明けの朝礼前、永尾さんが私の机にやってきて「はい、コレ」と言った。
見ると机の上に(CABIN)のマッチ箱が置かれていた。
「ええ〜もらって来てくれたの?」
「だって金曜日、それが欲しいって言ってたじゃん」
「ありがとう。もらえるとは思わなかった。本当にありがとう」
私は嬉しくてたまらなかった。
それは欲しかったマッチ箱が手に入ったからではなく、彼がわざわざもらって来てくれたと言うことが嬉しかった。

「あれ?中身が入ってるよ。使ってからでもいいのに」
「だって集めてるなら新品じゃないとダメだろ?」
「でもマッチ使うでしょ」
「いや俺は100円ライター派だから。桜田さんの為にもらって来たんだよ」
彼はそう言ってニヤッと笑った。

「ねぇ桜田ちゃんってば」
大川ちゃんの言葉に私はハッとした。
「あっごめん。何か言った?」
「なに一人の世界に酔いしれてるの?マッチにいい思い出あるの?」
「まさか。酔いしれてなんかいないよ」
私は顔が赤くなるのを感じた。

「私、もう帰るね。今日はありがとう」
食事を終えてから私は言った。
「じゃあ俺も帰るよ」
永尾さんもすぐさまそう言った。

私と彼はすぐ近くの地下鉄の入口前で降ろしてもらった。
急に二人きりになったせいか改札口であっさりと別れた。
せっかく彼と二人きりのチャンスだったのに。
彼と逆方向の地下鉄に乗りながら後悔するばかりだった。

おそらく彼は私の気持ちに気づいているだろう。
でも私には彼の気持ちがわからなかった。
なぜ改札口であっさり別れて来たんだろう?
話したいことがあるんだ、聞きたいことがあるんだって言わなかったんだろう。
いや本当は彼にのめり込んでいく自分が怖かったのかもしれない。
これ以上彼といるとセーブできなくなる自分に。

週明け、会社に着くと春木先輩が言った。
「桜田ちゃん、あれからどうなった?」
この先輩には彼とパーティーを抜け出すことを告げていた。

「すごく楽しかった。営業所の人たちも良い人ばっかりだったし」
「昨日、青井ちゃんから電話もらったんだよ。二人いい雰囲気だったって」
「そっか。青井さんは先輩の同期だったね。でも永尾さん、なんとも思ってないみたい」
「そう?でも少しずつ仲良くなっていけばいいんじゃない?」

朝礼後、永尾さんはおはよう、と私の横を通り過ぎて行った。
まるで何もなかったかのように。
彼に会ったらどんな顔をしようかと思っていた私はちょっと拍子抜けした。
あの二日間は夢だったのだろうか…