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運命の経年劣化と更新手続き

運命的なものなどありません。
運命的なものがあると思うから、目の前のことが運命的じゃないなと思うのです。
すべてのものが運命的なものだと高次元の存在は教えてくれます。
全くその通りでしょう。矛盾しません。
すべてのものが運命的なものだから、運命的なものなどないのです。


私たちは誤解してます。

運命的な恋人は、死ぬまで同じテンションで愛し続けられると考えます。
運命的な職業は、死ぬまで同じテンションで順風満帆にやりがいがあると考えます。
運命的な靴下は、死ぬまで同じテンションのゴム状でフレッシュであると考えます。

上記2つはそういうこともあり得ると粘る人もいると思いますが、最後のはみんながそんなことありえないと思うでしょう。
先日、靴下を入れている棚の奥の奥のほうに、古いヨレヨレの靴下を発見しました。まぁ使えるととっておいたのでしょう。お役目ご苦労とゴミ箱にご案内しました。
靴下も経年劣化しますし、デザインが自分に合わなくなるし、匂いや汚れを通り越した化石に向かってる別の物体になっていきます。
職業も時代に合わなくなり、経年劣化した自分に合わなくなったりいろいろあります。
パートナーも経年劣化し別の物体に…、じゃなかった、お互いに歳をとっていき、価値観も変わっていくから、それに合った関係性を構築し直す更新手続きが必要になっていったりします。

毎日が毎出来事が運命的であり、別の物体になる運命になったり、ゴミ箱に案内される運命になったり、更新手続きが大変になる運命になったりするだけです。
運命を誤解してるし、誤解される運命であるともいえます。

私が数十年前にスピリチュアル情報に確信した頃、次に出会う人間が運命的な存在になると設定してみました。
出会ってみたら、え?、こんな人が運命的な存在になっていくのか?、何かいけすかないヤツだけど最初の導入がこれだから運命的になっていくのか、などと考えました。
その日から二度と会ってません。
運命などというのはそういうことではないとわかった相手としては運命的だったと言えます。

私の経験でモノを語るのは普遍的じゃないですね。
ついでに経験で言えば、実は運命的な人との経験だらけです。
さっきの話と違うじゃん、って感じですね。
違いは、会った当初はまったくそんな感じしなかったけど、結果的に運命的なものだったなーと思うことばかりです。
なんとなく縁が複雑に絡み合って後から考えれば運命だったなと、回想して楽しむのが私にとっての運命かもしれません。


せっかく買ったのにほとんど履かない靴下もあれば、かかとの部分がシースルーになるまで履いちゃう靴下もあります。
そういう運命もあれば、そうじゃない運命もあります。
靴下でさえ買うときにどうなるかわからないんだから、出会った人や物事も運命でもあり運命なんかないともいえるから、運命なんか考える必要ない、だからこその結論が、
すべては運命だから、運命なものは何もない、
と考えるのです。
私はね。


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