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冒険の中の地図は宝を指している思い込み

宝島の冒険。
宝にたどり着くために、海を越え山を越え、怪物を苦戦しながら倒し、罠が張り巡らされるジャングルを進み、仲間の死を受け止めながら、冒険は進みます。
こういう苦難の末の目的地にたどり着くという考え方が、人は納得するんです。
行こうと思った瞬間に宝が目の前に現れた、そんな話は人は嫌います。
嫌いながら望んでます。

仕事で成功したい、できれば上場企業にしたい、そんな人も、よく考えたらただ単に金持ちになって楽したいのが目的だったりします。
綺麗になりたい、モデルのように誰もが振り向いてくれるようになりたい。
そんな人も、よく考えたらただ単に理想の人と愛し合いたいのが目的だったりします。
人は回りくどいのが好きです。
宝を得るためには、困難がないと納得しないんです。

宇宙人はもうそこで待っている、
あなたの創造した現実はもうそこで待っている。
3歩進んだらそうなるのに、わざと遠回りして、障害を自分で作って乗り越えないとたどり着けないと勝手に思い込んでいる、むしろ困難を現実化してるような気もします。

原因は何か、インナーチャイルド、低い自己肯定感、洗脳された社会、集合意識の刷り込み、まぁ挙げればキリないのでしょうが、どれも原因でしょうけど、原因を探ることさえも回りくどいことかもしれません。

こうやって時々、原因なんて考えないでいいんだと思うんですが、すぐに困難を自分で作って回りくどいことしてるんだなぁと思います。

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