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生々しい一神教の聖地から、あなたの唯一の神の国


サウジアラビアは、2019年に観光ビザを発行するようになりました。
それによって、国内の一般市民の日常などがテレビで映像として見られる機会が増えました。
今までは、映像がほとんどなく、北朝鮮の風景以上に見られなかったのですが、とうとうイスラム聖地などが映像で見られるようになりました。

現在の王子は改革進歩派で、西洋に開き資本を呼び、大きく方向性が変わってます。
一方、批判したジャーナリストは私的処刑(拷問殺害)するほど、民主主義、法治国家とは違う側面も見せてます。しかし、国内の国民の生活は、女性も男性と普通に会話してるし、保守的な人と開放的な人と様々で、想像以上に我々と同じような感じでした。

そして、今まで規制された写真でしか見れなかったものが、生々しい映像で見られます。
ムハンマドが天使からアッラーの言葉を受けたとされる、ヒラー山の映像。
メディナのモスク、ムハンマドの霊廟の映像。
メッカのカアバ神殿の巡礼者と同じ目線の映像。
敬虔で感極まる人もいれば、半分観光な気分の人もいたり、温度差があるのがリアルでいいです。
日本国内にある伝統宗教聖地も、訪れる人のそれぞれの温度差があるのがいいです。
カルト宗教でも過激派共産主義でも、閉ざされた世界で極まった人しかいられない排他的なところではなく、文字通り神のような寛容な開かれたところがいいです。

かつてのサウジアラビアなど閉ざされた国は、勝手な憶測を呼び危険な香りもしますが、開かれると、そこには変わらない人々の営みがあるのが感じられるのがいいです。
唯一神アッラーの神殿に触れながら、自分の子供の死を悲しみ祈る巡礼者は、崇高な神の前にでも日常の思いが優先するのが伝わります。


ピラミッドやアステカ文明やマヤ文明の遺跡などは、すごいとは思いますが、私はあまり関心がありません。跡地になってます。
カアバ神殿や、嘆きの壁や、聖墳墓教会など、現在進行形で生きています。遺跡の前で信仰は生々しくあり続けています。

私は、どこの特定の宗教にも属さない無宗教ですが、無神論ではありません。
その「神」にあたる部分は何なのかをずっと考えてました。
唯一神は、すべての存在の創造主ではありません。
唯一神は、自分の創造神は唯一に自分自身であることです。
自分自身が絶対神なのです。
だから、唯一神は人の数だけいる、すべての存在自身がそれぞれの唯一神です。
偶像崇拝とは、自分じゃない他者が神だとなるから、偶像崇拝は禁止になります。

私が覚えているイエスの言葉です。
「神の国は、あなたのただ中にあるのです」
後に一神教になったキリスト教ですが、イエスは一度も私が唯一神とは言いませんでした。
あなた方も私と同じだと言いました。

自分自身が神のわりには何も崇高なことが起こらないと嘆く人もいるでしょう。大丈夫です、外にいる世間の言う唯一神も、あなたに何も崇高なことを起こしませんでしたよ。
自分の外に神を探すからわからなくなります。
自分自身が自分の唯一の神なのです。
その自覚した唯一神たちが集まるから、神の国になるのです。


以上は、アシュタールさんの話から聞いた上での私の個人的な考えなので、他の方の信仰心に何か意見するつもりはありません。
だったら公開する必要ないのですが、一神教の聖地の素晴らしい映像を見て、つい書いてしまいましたのを、お許しください。
多分、入り口が真逆のように見えても、同じことになる気もします。

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