見出し画像

占う先 前編〜ハンドル操作


私たちは迷います。
あなたの道はこうだ!と断定して欲しくなります。
だから、チャネリングで聞いたり、ガイドに尋ねたり、占いで診断して欲しくなります。
選択肢を確信して選び、運命の道を進みたくなります。

仮に、自分の運命の道を確信して進んでいるとします。
しかし当然ですが、全部うまくいくわけじゃありません。
天職の活動も、ツインソウルの伴侶との生活も、全て完璧なことが起こるわけでありません。
完全に運命の道に進んでいる人でさえ、人生には紆余曲折があります。

ちょっとでもつまずくことがあると、この道が間違ってたのではないかと、もっと別の道があったのではないかと、疑うことになれば、結局同じことですよね。
確信した運命の道だとしても、峠の道のようにカーブの連続なのです。

運命でないと紆余曲折、運命でも紆余曲折。

多くの人は、魂に沿った運命の道であれば、全てがうまくいくまっすぐ進むものだと思い込んでます。
まっすぐの道は危険です。スピードが出すぎて壁に激突します。
カーブの連続だからこそ、減速加速を繰り返しながら、景色は開けたり覆い茂り見えなくなったり変化が豊み、過程を味わえるのかもしれません。
カーブが連続して不安でも、いずれにせよ、たどり着ける先は同じなのでしょう。アシュタールさんの言う「すべては順調です」はそういう事かもしれないけど、どうでしょう。

成功体験が少ない人だって、それなりに良かった時があるでしょ?
その時も紆余曲折あったはずです。
人より成功しても前人未到の成功でも、同じ。
ある程度うまくいった人はわかるはずです。そこからも、ただ別の紆余曲折ありますよね。

もちろん、他の視点からの意見を聞くのは大事ですよね。それは自分の考えを客観的に見れることになるからだと思います。
だから、大いに占いなどを活用すると良いと思います。
でも、どんな魂に沿った運命の道もカーブの連続だから、ハンドル操作を注意するだけで、道そのものを迷わなくても良いのかもと思ったりします。
助手席で右だ左だと指示されると、ハンドル操作を誤ってしまうかもしれません。
助手席にいちいち全部聞いてたら、それが依存になってしまって、とうとう運転を代わってくれという気分になってしまいます。
道を迷っても自分自身でハンドル操作するのが自分の人生なのでしょう。
仮に今が運命の道でなくても、どこかで本道に合流する気もします。

地獄の時は、天国に行くのが目的になります。
天国にいると、先はなくいつ堕ちるかだけです。
占いで天国への道を探しますが、天国でもいつまでいられるか不安で占いするという地獄みたいな状態になります。
その道は天国行きでも地獄行きでもなく、ただ自分に向かう道なのかもしれません。
紆余曲折なのは道がそうなのではなく、いつまでいっても自分が紆余曲折なのでしょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?