見出し画像

悟りの道はコーヒーの音に共振する必要ない


悟りの体験て、興味深いですよね。
スピリチュアルでは、目覚めるとか言います。
前から、仏教の著名人の「体験談」を読んだりするのが好きでした。


空海さん
真言宗のスーパースターです。
空海さんは修行中に、虚空蔵求聞持法で真言を百万回唱えました。
明けの明星が口から体中に入り(本人談)、宇宙と一体になれたと悟りました。
ゲートが開いて、シリウスならぬVenusエネルギーをチャージする感じでしょうか。
空海さんの「即身成仏。この身のままで仏になる」という考え方、好きですよ。物質肉体を持ったままアセンションする悟りです。

私も虚空蔵菩薩の真言、やってみたことがあります。
「ノウボウ アキャシャキャラバヤ オンアリキャ マリボリソワカ」
繰り返し繰り返し唱える、1時間ぐらいやってみると、ふわふわしてきます。悟りというより目まいです。
真言て、口癖になって面白いですね。
1回の息継ぎで何回言えるかトライしてみて、やった!新記録だ!って喜んだりして、何の修行なんでしょう。
悟りの道は遠いです。


道元さん
禅の求道者です。
何のために座禅するのか、そんなのどうでもいい。ただ座る「只管打座」。
そして宇宙に溶け込むように「心身脱落」する。まるでコーヒーの粉がお湯に溶け込むように、粉という自我が溶け合い宇宙と一体化するコーヒーとなる、と説明した人です。嘘です、その時代にコーヒーはありません。
アシュタールさんが死後の宇宙をコーヒーで例えましたね。道元さんの思想と共通してます。
当たり前ですね、真理だから。

そんな道元さん、ただただ座り、ただただ溶け込んでいる時、他の修行者が打たれた音に共振したキッカケで悟りました
そして、すべての道は悟りである、掃除も炊事も悟りであるとしました。
この影響で、学校でも学生が掃除する日本になりました。外国人から見るとクレイジーです。

そういえば、同じジャンルの禅宗の一休宗純の悟りも同じようなキッカケでした。
一休宗純。アニメの一休さんです。この方の書物が多く、具体的に記述されてます。
修行に励みながら自己と他者の境界線が消えていきます。夜中にまどろんでいると、闇夜のカラスの鳴き声の音に共振したキッカケで悟りました
悟ったけど、死に際には「死にとうない」と申しました。それぐらい悟りは高貴ではない、悟りは俗世の世界にあるとしたのも、人々に人気がある理由ですね。

私もかつて座禅しながら心身脱落してまどろんでました。すると、何かの音をキッカケにピクンとなるんですよね。なんか、草食動物がモシャモシャ食べているときに、何かの音でピクンとなる、ただのビビりですね。
悟りの道は遠いです。


法然さん
阿弥陀仏が救ってくれる。だってお経に書いてある。
そう確信し悟りました。
法然さん自身は悟りましたと言ってません。
そもそも、悟ることで仏になれる、この教えの仏教ですが、一体誰が悟れるんだ、そんな難しいことで救われるなら誰も救われないと悩んだのが法然さんです。もう分かったとセミナーするスピリチュアルのインフルエンサーとは大違いです。

お経を読み込み読み込み、長い長い研究の末にわかったのが、悟る必要がないことを悟りました。阿弥陀如来が全てを救ってくれると約束してくれてます。南無阿弥陀仏、南無=信頼して委ねること、阿弥陀さんに感謝すること=宇宙エネルギーに感謝することです。
難しいことを自力で行う、それこそが傲慢で宇宙を信頼していないことになります。
うんうん素晴らしい。

高次元の方の話を聞いて宇宙に委ねます。
そうそうと言いながら、まだまだこれどうしよう、あれやんなきゃと、南無宇宙にならず、社会修羅界に惑わされる畜生道です。
悟りの道は遠いです。


長くなってしまいました。
他の有名人は、また別の機会に書きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?