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人の不幸を喜ぶ人は自分の過去の不幸を呼ぶ。

「私のことを考える、ということはすべての人のことを考えるということと同義語です」
アシュタールさんが語る素晴らしい真理です。

考えます。

人の不幸を喜ぶ人は自分の不幸を喜ぶ(呼ぶ)。
人の不幸を悲しむ人は自分の不幸を悲しむ(呼ぶ)。

また、
人の幸せを喜ぶ人は自分の幸せを喜ぶ(呼ぶ)。
自分の幸せを喜ぶ人は人の幸せを喜ぶ(呼ぶ)。

そして、
自分の不幸を受け入れる人は、人の不幸を受け入れる。
人の不幸を受け入れる人は、自分の不幸を受け入れる。


時間の流れの逆転を考慮すると、
人の不幸を喜ぶ人は自分の過去の不幸を呼ぶ。
人の幸せを喜ぶ人は自分の過去の幸せを呼ぶ。

自己と他者の視点を統合し、
原因と結果の関係を統合し、
統合した同時意識すると、全てを掴み、そして消えていく感覚がします。


人は苦しみます。
苦しみ悩まない人などいるのでしょうか。
ブッダは悟り、人生は四苦八苦と説かれました。
「生苦」「老苦」「病苦」「死苦」
「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五陰盛苦」
検索しないで大丈夫。あなたが経験している苦しみです。
生きてれば苦しみに満ち溢れてます。むしろ心がある限り苦しみを生み出しています。
ブッダはまず、その構造から理解しようと説いたような気がします。

自分が苦しんでいるように人も苦しんでます。
人の苦しみを癒す人は自分の苦しみを癒します。
人の苦しみを生む人は自分の苦しみを生みます。

インスタでリア充アピールしている人と、SNSで苦しいアピールしてる人は、表裏一体で同源行動かもしれません。

どんなに満たされても、ちょこちょこ人生のハードルがやってきて、ボディーブローのように苦しみがあります。
苦しみはないなんて鈍感な人は、人の痛みにも鈍感なので、近づいてはいけません。
物質社会に生まれた限り、むしろ小さい苦しみを生んで体験しようと自分でしている。それがギフトと呼ばれるものなのでしょう。

ワンネスなんて、手垢がついた言葉を使うとウンザリしてきますが、自分とすべての人は、繋がっていると言うよりも、差があると感じる考えが、苦しみを生み出すギフトになってるのかもしれません。

自分が絶望しているように、人も絶望している。
自分がほどよく苦しみから逃れているように、人もほどよく苦しみから逃れている。
自分が細かい苦しみを苦しい心にならないよう、人の細かい苦しみを気づく心になるでしょう。

生きてることが、ブッダの菩提樹での瞑想と同義かもしれませんね。

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